関東大会も近い。今日も気合を入れて練習に臨もう。そんな部員たちを出迎えたのは、悠太の衝撃的な提案だった。
関東大会の演技に、三つバック、つまり三連続バク転を取り入れると言い始めたのだ。そのため、選抜テストを行なう、とも。
これには部員たちも衝撃を受けた。多くの部員が反発し、今更演技構成を変えることを渋った。だが、これを取り入れなければ鷲津に勝つことはできないと悠太は判断したようで、また火野も冷静に悠太の意見を指示した。更に、航もまた受け入れたため、結局選抜テストを行なうことを、部員たちも渋々ながら受け入れたのだった。
部室を出て行く部員たちの表情は様々だった。特に水沢は、納得していないのが一目でわかるほどだ。その表情を見たは、感じ取ってしまった。これこそが、平穏を取り戻しつつあった新体操部に、再び投下された火種になるかもしれない、ということを。
「土屋くん、ちょっといい?」
最後に出て行こうとしていた土屋を呼び止めると、彼は丸い目をこちらに向けた。
選抜テストのことも心配だが、今はそれ以上に気になることがあった。それを、土屋ならば何とかできるかもしれない。
「あのさ、木山くんのことなんだけど」
「木山さん、ですか?」
そう、木山の怪我のことだ。本当に何ともないのか、演技に支障はないのか。もし怪我をしていたとしても、木山をメンバーから引きずり落とすようなことはできない。だが、黙って見ているわけにもいかないだろう。マネージャーとして。
「木山くん、昨日ね、手首に違和感があるって言ってたんだ。痛くないみたいだけど……」
「そうなんですか? もしかして、この間の怪我がまだ……」
「うん、そうかもしれないと思って。だから、土屋くん、注意して見ててくれる?」
深刻そうな顔をして、土屋が頷く。それから、彼は戸惑いの色を含んだ瞳で、を見た。
「先輩は、選抜テストについてどう思いますか?」
選抜テストを受けない立場だからこそ、土屋は不安を感じたのだろう。
「まあ、私もちょっと気になるかな……。皆一応は納得してたみたいだけど」
「何だか僕、嫌な予感がして。でも、こんなこと先輩たちには言えませんし」
「そうだよねえ。私も、見守るつもりではあるけど、ちょっと釈然としないっていうか――」
これ以上、言っていいのかはわからないが、口に出さなければこの不安はいつまで経っても解消されない気がした。
きっと土屋も、同じ事を考えている。
「つまり、勝つことにこだわりすぎてるんじゃないか、とか」
二人の間に、沈黙が漂った。
関東大会突破、鷲津学院に勝つこと、それが目標なのだから、悠太の判断も間違ってはいないだろう。それに、選手として、更に上のレベルを目指し、技を磨いて行く姿勢も間違っていない。ただ、今の彼らは、新体操選手として技を磨くことより、勝つことに力を入れているように見える。それは、今まで見てきた、仲間と新体操を楽しむ彼らとは少し変わってしまったようで。
寂しいのかもしれない、自分たちは。
土屋の目を見つめて、は苦笑した。
「鷲津の練習は、見るべきじゃなかったかな」
「そんな……」
「悠太くんと鶴見くんは、違うよ。私はどっちの姿勢も間違ってないと思うし、悠太くんがキャプテンとして決めたことなら、従うよ。だけどさ、いきなりあんなこと言われちゃったら、悠太くんが鶴見くんになったみたいで、変な感じ」
悠太先輩は、仲間を切り捨てたりしません。
土屋はそう言う。そして自分もそれはわかっている。彼は決して仲間の存在を忘れたわけではない、と。
「それで? 土屋くんは、どうしたいの?」
「僕は……見守ることしかできませんから。もう新体操はできませんけど、先輩たちが楽しそうに新体操見てるだけでも幸せ、です」
「そうだね。じゃ、今までどおり、皆のこと見守ってあげてね」
土屋の想いが、打ち砕かれることなどありませんように。
彼の笑顔を見ながら、そう願った。結局、二人はそれ以上の話はせず、体育館へ向かった。
「ちゃん、一緒にかーえろ」
その日の夕方練習後、は亮介に手を引かれた。いつものことだが、少し躊躇った。選抜テストのことで、悠太や水沢と話せないかと考えていたのだ。土屋は後輩なので、口を出しづらいだろうと思ったのだが、亮介は手を離してくれなかった。
ただ、また首を突っ込んでいると言われてしまうのも嫌だったので、は結局悠太と話すことは諦めて、亮介と帰ることにした。
「拓と帰ろうと思ってたのに」
「そんな冷たいこと言うなって。俺だって心配してんのよ? 矢代のこともあったし――ここだけの話、悠太たちには心配かけたくないから黙ってたけど、矢代に指図してたの、赤羽だし。またお前に嫌がらせとかしてきたら、俺が守るの当然じゃん」
「まあ、皆何となく予想はしてると思うけどね」
驚きは全くなかった。というよりも、今は赤羽のことよりも気になることがあるだけだ。
「ね、亮介。選抜テスト、どう?」
「んー? まあ、俺なら余裕っしょ」
「そうだよね。亮介なら大丈夫だと思うけど。でも、本当にこれでいいのかな」
亮介の手を握る。この不安は、例え亮介であっても部員相手に伝えるべきではないと思っていた。彼らのモチベーションを下げることにも繋がりかねない。
だからこそ、彼の手を握った。
「勝つことが大事なのはわかるけど、何か違う気がする」
「はあ? それ、どういう意味」
「いや、あのね、違うの。反対してるわけじゃないよ。亮介のことも応援してるからね。でも、何か怖くて……。皆が、私たちのこと置いてってる感じがして」
置いて行かれる。それが不安の正体だ。
彼らは自分たちのことを忘れるはずがない、仲間なのだから。それがわかっていても、新体操ができない自分たちが、取り残されたようで寂しい。
亮介が怪訝そうに眉を顰めた。
「ごめんね、変なこと言って」
「いや、いいんだけど……」
きっとこの気持ちは伝わらない。彼らはただ、勝ちたいだけなのだから。
これは、わがままだ。
「忘れていいよ」
誤魔化し笑いを浮かべて、亮介の手を離す。一歩前に出て、そのまま数歩分、先へと進んだ。
消えていく手の熱を思うと、切なさが胸に湧き上がった。
「」
だが、それも束の間、亮介はすぐに追いついて。
「俺さ、のために、絶対メンバーに残っから。だから、絶対三つバック成功させる」
そのまま抱き寄せられて、後ろから囁かれた言葉。
手から消えた熱が、全身に広がっていく。小さく頷き、その熱に身を任せた。
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