春が来た。
青い空に、桃色の花びら。差し込む光は暖かさを持ち、教室に入る学生たちを歓迎する。そんな季節の話。
は、メガネの曇りを拭き取って、誰もいないトイレを出た。
新しいクラスには、今まで一度も同じクラスになったことのない、幼馴染がいた。それだけでも、気分は明るくなった。
それにしても、新学期早々にコンタクトレンズをなくしたのは不運としか言いようがない。家でしかかけないメガネをかけていると、自分には似合っていないような気がして、落ち着かなかった。
それでも、新しい環境に、気持ちが浮き足立ってしまう。それはきっと、春だからだ。
「きゃあっ!!」
――と、思っていたのに。
新しいクラスへの一歩を踏み出した瞬間、の前で繰り広げられ始めたのは、どう見ても弱いものいじめにしか見えない光景だった。
どう見ても真面目な生徒には見えない男子生徒が、どう見ても善良な男子生徒を殴っていた。
「……何だ、それ」
入り口に立ち尽くしたまま、呆然と呟く。
ふと、窓際の席に目をやると、現れたのは、赤い髪。
「……終わった」
東航と、その取り巻きたちだ。
この学校にいて、彼らを知らないものはいないだろう。学校一の不良軍団。学校はサボる、煙草を吸う、は序の口。彼らが起こした乱闘事件は数知れず、よくも三年まで進級できたものだ、と誰もが思っているに違いない。
その東航と仲間たちが、このクラスにいるのだ。
これはもう、明るい学校生活は期待できない。
「おい」
ふと、制服の裾を引っ張られたは、力のかかる方向に目をやった。そして、思わず飛びのきそうになった。
何せ、自分を見上げていたのは、木山だったのだから。
彼もまた、不良軍団の一味のようなものだ。東たちと一緒に行動しているところは、あまり見たことないが、その一匹狼のような振る舞いが、彼を近寄りがたい雰囲気にしていた。
「HR、始まるぞ」
言われて初めて、既に担任が現れていることに気づいた。
あまりの衝撃に呆然としている間に、騒動は収まっていたようだ。慌てて空いた席を探すが、もはや遅かった。
残っているのは、東と赤羽の間の席か、赤羽と木山の間の席か。
どちらにも死亡フラグが立っているのが見える。散々迷った挙句、あの地雷に囲まれた窓に近い席よりも、逃げ場のある木山の隣のほうがまだ良いと判断して、すぐそばの席に着いた。
前途多難。そんな言葉がよく似合う。こんなことなら、トイレになど寄らず、まっすぐに教室へ来ていれば良かったのだ。
などと、苦悩しているの耳に入ったのは、まさに鈴を転がしたかのような声。
「里中茉莉です。父の転勤で、今年からこっちに戻ってきました。よろしくお願いします」
顔を上げて、驚愕した。
目を疑うほどの美少女がそこにいて、クラスに微笑みかけているのだから。
「……可愛い」
思わず口に出していた。あんな美少女がいるなら、このクラスも悪くはないかもしれない。彼女とお近づきになれるかどうかは別として、だが。
落ち込んだり舞い上がったり、非常に忙しいは、HRが終わって席を立った。
遅刻ギリギリになったせいで、幼馴染の姿を確認していなかった。教室を見渡すと、彼は窓際の席にいた。近くの席の男子生徒と、楽しそうに喋っている。
「――拓!」
わざわざ教室を大きく迂回して、前から近づいた。後ろから近づくなどという自殺行為は出来やしない。あの地雷原を通るには、最高級の装備が必要だ。
顔を上げた彼は、瞬きをして、自分を見つめた。
「えっ、? 同じクラス?」
「そうだよ! 知らなかったの?」
「俺たち、急いでたから、自分たちがどのクラスかしか確認してなくて」
水沢拓。家は少し遠いが、親同士の仲が良いおかげで、幼い頃からの付き合いがある。幸いにも年齢が上がっても疎遠になることなく、これまでうまくやって来た。
「悠太、金子。紹介するよ。知ってるかもしれないけど、俺の幼馴染の、」
「ああ、知ってる。水沢がテストの前になると、いつもノートを借りてるさん」
「そういう悠太は、金子のノート借りてるだろ」
新体操のことにしか興味がないらしいこの幼馴染に、は毎度ノートを貸してやる。だが、自分のノートよりも、新体操部には金子という首席がいるのだから、彼から借りればいいのに、と常々思っていた。借りないのではなく、借りられなかったのだ、悠太が毎回借りるから。
そんなことを考えて、は笑った。
「よろしくね、悠太くん、金子くん」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
一応、二人の顔は知っていた。
水沢がいつも一緒に行動している二人だから、自然と目に入る。彼らは、いつも楽しそうに笑っていた。
例え、男子新体操の悪口を言われても、嗤われても、彼らは常に笑顔を絶やさなかった。
それはきっと、こうしていつでも笑い合える仲間がいたからだろう。
「あ、次のHR始まるね。じゃ、またね」
「ああ、あんまり無理はするなよ」
水沢がサラリと言った台詞に、金子と悠太は首を傾げた。
一瞬だけ、胸が鈍く痛んだ。水沢の台詞によって、思い出したくないことが、蘇りかけたのだ。だが、すぐに笑顔を作ることで、その痛みを振り払った。
「大丈夫だよ、もう」
「……そうだよな」
水沢は、優しい。
いつでも自分の味方でいてくれる。そんな幼馴染を持ったことが、自分の人生で、最大の幸せだったのかもしれない。
だからだろう。昔からずっと、思っていた。
何があっても絶対に、彼のことだけは裏切らないでいよう。ずっと、味方でいよう、と。
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