猫をかぶっているという自覚はあった。
例え信頼している水沢相手だろうが、見せられない一面というものはある。親にも見せていない、いや、血のつながりのある親だからこそ見せられない一面を、自分は持っている。
は、そう自覚していた。
時々、わからなくなる。自分の本性は、どっちだろう。そう考えると、眠れなくなる。
鬱積した感情が、爆発しそうになるとき。
は、誰もいない瞬間を見計らって、ここに来る。
「――はあ」
青い空に、ため息が散った。
ポケットに手を突っ込むと、冷たいものが指に触れた。どうするか迷って、はそれを取り出すのをやめた。
屋上の、奥。屋上の手前には、よく不良グループがたむろしているので、絶対にこの影から出ないようにしている。誰にも見えない場所だ。あの不良グループが、わざわざここまで来たことはないから、今日もきっと見つからないだろう。
「そんなに良い女なんすか?」
「女とか言うんじゃねえよ!」
「すいませーん!!」
にぎやかな声だ。
その会話から察するに、東航は、転校生の里中茉里に恋をしてしまったらしい。面白いものだ。あのカラ高の不良を束ねる男が、一人の女に骨抜きにされているのだから。
「里中さん、可愛いもんなあ……」
「いや、ちゃんも可愛いと思うけど?」
「それはどうも――うわっ!?」
「しー! 気づかれたくねえんだろ、こんなところに隠れてるっつーことは」
どうしてここが、とか、許してください、とか。
そんな言葉が頭の中をぐるぐると巡って、結局何も言えなかった。
月森亮介が、そこにはいた。
「……」
「俺の可愛い子センサーに間違いはない」
「……は?」
瞬きを繰り返していると、彼はいきなりそんなことを言って、隣に座った。
逃げたいが、ここから出た時点で、他の不良たちに見つかる。結局、はこの得体の知れない雰囲気を持つ男の隣から、動けなかった。
「……あの」
「ん?」
「何か、用ですか」
やっとのことで、それだけを搾り出す。ポケットをごそごそと漁っていた彼は、きょとんとしてを見下ろした。
「いや、用っつーか……俺がいたら、困る?」
「え、こま……困りま、せん」
「じゃあ良いじゃん」
それから彼は、ポケットから煙草を取り出して、一本くわえた。そうして、もう一度ポケットに手を突っ込む。忙しいなあ、などと思いながらそれを見ていると、彼は聞こえるか聞こえないかの音の舌打ちをして、煙草を箱に戻した。
「まさか、ライターとか、持ってないよな」
「……」
「しょうがねえな、日暮里に借りるか」
「持ってる、けど」
「え?」
立ち上がろうとした月森は、目を丸くして振り返った。
ポケットから、ライターを引っ張り出して、差し出す。
「え、いや、まさか、ちゃん……?」
「まあ、そういうこともありますよ。人生は長いから」
わけのわからないことを言って、ごまかす。
月森が予想したとおりだ。自分はここで、煙草に手を出すことがある。今まで一度もばれたことがないが、煙草を買うのにも、吸うのにも勇気がいるので、結局もうやめようと考えていたところだ。
月森は、何かを言おうとしたのか口をパクパクとさせた後、結局そのライターを受け取った。
「あげます。もう使わないから」
「やめんの?」
「体に悪いし、もともとあんまり好きじゃないし」
魔が差した、ということだ。ストレスがたまってどうしようもなかったときに、ここで不良たちが煙草を吸っているのを覗き見た。あんなもののどこがおいしいのかわからない、と思いつつ、手を出した。味がどうとか言うよりも、悪いことをしているというちょっとした爽快感のようなものが、好きだったのだ。
「人は見かけによらない、って奴か」
「見かけ?」
「いや、メガネをかけた優等生キャラだろ。どう見ても。頭良さそうだし」
間違ってはいないかもしれない。親にも教師にも反抗したことがない、善良な生徒。成績もよく、教師受けもよく、使い勝手もいい。そんな生徒だという自覚はあった。
ただ、メガネはこの場合、関係ない。
「いつもはコンタクトだから、あんまり関係ないよ」
何となくメガネを外して、月森の顔を見る。近くなので、大してぼやけることはなかった。だからだろう、彼の表情の変化がはっきりとわかった。
「ちゃん」
「はい?」
「俺と付き合って」
カシャン、という音が響いた。
思い出した、月森亮介だ。いや、名前はもちろん知っていたが、彼の噂を今思い出した。生粋の女好きで、今まで付き合った女は星の数。カラ高には、手を出された女は少ないというが、校外に出れば、両手では足りないほどの彼女が集まってくるに違いない。
「嫌ですけど……」
とっさに拒絶する。お断りします、というレベルではない。断固拒否だ。
「俺と付き合って」
「何度言われても、嫌ですけど」
驚いた。
まさか、自分が彼のお眼鏡に適うとは思っていなかった。
慌てて落としたままのメガネを拾い上げて、首を横に振る。
「良いじゃん、何で?」
「いや、こっちが聞きたい。何で? 里中さんのほうが良いって」
「大丈夫、俺、ちゃんのことも好きだから」
「え、今の何? 二股宣言?」
おそらく、価値観が違うのだろう。彼が何を考えているのか、まったく理解が出来なかった。
目の前にいる彼が、いきなり言葉の通じない人間に思えて、混乱した。
「というわけで、よろしく」
「いやいや、よろしくとかしないから」
「付き合ってくれなきゃ、ちゃんがここで何してたか、言いふらしちゃおっかなー」
「卑怯すぎる!」
思わず声を張り上げてしまった。慌てて口を押さえて、不良たちに聞こえていないことを祈った。
目を白黒させている間にも、月森はを見つめたまま、ニコニコと笑っていた。
「……落ち着け、私。このヤンキーと私の言うこと、どっちを信じると思う。うん、そうだ。私が信じられるに決まってる。そうに違いない!」
「全部聞こえてるからな」
「聞こえるように言ったから」
一進一退の攻防を繰り広げる二人だったが、ようやく終止符が打たれることとなった。
「亮介!」
「あ、やべ。じゃ、ちゃん、またね」
「えっ、ちょ」
月森は、自分を呼ぶ声に反応して立ち上がると、颯爽と去っていってしまった。
不良たちはどうやら、どこかへ行ってしまうらしい。残されたのは、呆然と座り込むと、月森が残していった、煙草の煙のみ。
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