どっと疲れた。

「あ、

 フラフラと歩いていると、前方に水沢たちが現れた。

「拓!」

 オアシスだ。まるで砂漠を一昼夜、飲まず食わずで歩いてきたかのような疲労感が、消え去った。

「今から部活?」
「ああ、は、帰るのか?」
「うん、そうしようと思ってた」

 水沢といると、自然に笑顔が出てくる。それは、心を許しているからだ。
 校舎を出るまで、水沢たちと歩いた。

、良かったら、見に来ないか?」
「え、良いの?」
「せっかくだし、一緒に帰ろう」

 悠太と金子を見れば、彼らも頷いてくれたので、素直に見学させてもらうことにした。
 それに、今フラフラと歩いていると、またあの男に見つかるかもしれない。それなら、体育館に隠れていたほうが良い。
 は、思ってもいなかったのだ。まさかあの男が、本当に体育館に現れるとは。
 体育館のギャラリーに上って、全体を見渡す。片面をバスケ部、もう片面を女子新体操部が使っているらしい。聞きしに勝る冷遇ぶりだ。男子部のスペースなど、猫の額も負けるほど狭い。というか、ない。

「あ、里中さんだ」

 女子部が入ってきて、ぞろぞろと整列している。
 ぼんやりと、茉莉を見つめる。遠くから見ても変わらない美しさだ。本当に、月森も自分などではなく、あの美少女に挑めば良いのに。
 自然にため息がこぼれだす。水沢に相談するべきだろうか。だが、水沢を月森に関わらせたくない。何をされるか、わかったものではない。

「可愛いなあ」

 もはやストーカー並の熱視線だ。は自分の視線にどれほどの温度があるかも知らず、彼女を見つめ続けていた。里中さんが可愛いから悪いんだよ、などと呟きながら。
 ふと、隣に人の気配を感じて、茉莉から視線を外した。
 驚愕した。

「う、うわあああ!!」

 の叫び声が体育館中に響き渡り、新体操部もバスケ部も、いっせいにギャラリーを見上げた。
 彼らが見たものは、完全に怯えた様子で後ずさると、それを楽しそうに追い詰める月森の姿だった。
 だが、彼らはいっせいに目を逸らす。月森の傍には、東もいて、ここで彼女を助けようとすれば、自分にも火の粉が降りかかるだろうと、とっさに判断したに違いない。この学校の人間の冷たさを、は呪った。

「ちょっ、何で、何でここに……!」
「いろいろあったんだよ。ちょうど良いじゃん、一緒に帰ろうぜ」
「あ、先生、先生、助けてください!!」

 月森の後方には、柏木もいた。慌てて彼に助けを求める。

「つ、月森くん、さんも嫌がってるようですし……」
「嫌がるわけねえじゃん、俺の彼女だから」
「え、そうなんですか?」
「違います!」

 柏木の純粋さを見た気がして、は必死に首を横に振った。
 どう見ても、嫌がっている。それを嫌がっていないと曲解する月森も月森だ。
 ――と、その時だ。体育館に、音楽が流れ始めた。
 大騒ぎしていたも、彼女を追い詰めようとしていた月森も、皆がそれに気づいて体育館を見下ろした。新体操部のマットの上には、一人の男子生徒。リングを二つ持った彼に、注目が集まった。
 新体操のことなど、ほとんど知らない。
 そんなにも、彼の演技のレベルの高さがわかった。それほど、彼の動きにはキレがあった。指先にまで神経を張り詰めているのだろう。

「すごい……」
「つか、新体操って男子もやるのな」
「うん。男子部もあるよ。ほら、あれ。……あれ?」

 余韻に浸っていたは、自然と月森の言葉にも答えていた。
 ちょうど男子部が入ってきたところだったので、それを指差す。だが、彼女は目を見開いたまま、その指を震わせた。

「……あ、東くん」
「うわ、やっべ」

 いつの間に下へ行ったのか。
 東が、男子新体操部と対峙していた。
 何か気に障ることでもしてしまったのか。まさか、暴力を振るわれたりしたら、どうしよう。
 月森が、東を追いかけて、ギャラリーを出て行く。それに従うつもりはないが、もまたギャラリーを出る。水沢が心配だった。
 体育館へ駆け込むと、悠太が柏木と深刻そうに話をしているところで、水沢たちは警戒したようにそれを見つめていた。

「拓! 大丈夫? 何もされてない?」
「あ、ああ……」
「何があったの? 何かしたの?」
「まさか! するわけないだろ」

 水沢が、事情を話してくれた。
 事情といっても、彼もまた正確な事情を掴めていないらしい。ただ、いきなり東がやってきて、俺にタンバリン(タンブリングのことらしい、と水沢は戸惑ったように言った)教えろ、と凄んだのだそうだ。

「タンブリングって……あの、拓がよくやってた、宙返り?」
「そう。意味がわからないけど、何のつもりだろうな」

 本当に、何のつもりだろう。
 警戒の視線を東へ送ったは、それよりも先に、自分がまずいことをしてしまったことに気づいて、目を見開いた。
 月森の前で、水沢と仲良く喋ってしまった。それどころか、自分は今、彼を心配するあまりに、その手を握っている。これは、まずい。あの彼氏気取りが、何を言い出すかわからない。

「拓、ごめん」
「え?」

 彼の平穏な学校生活を奪ってしまったかもしれない。
 月森が近づいてくるのを見ながら、は泣きそうになった。

ちゃん、ちょっと」
「え、?」
「いや、拓は気にしないで。私が拓を守ってあげるから!」

 手招きする月森に、恐る恐る近寄る。いつ牙をむくかわからない虎に近づくとき、人はこんな気分になるのだろう。

「彼氏いたんだ」
「彼氏じゃないよ、幼馴染! だから、拓に変なこと、しないで」

 瞬きをした月森が、水沢とを見比べて、ニヤリと笑った。

「あ、そう。じゃあ何も問題ないわけだ」
「え?」
「いや、いろいろ面倒だから、彼氏いる子と付き合わないことにしてんだけどね。彼氏じゃないなら、問題ないよな?」

 しばし、は考え込んだ。
 つまりそれは、彼氏だと言っていれば、平和的に解放されていたということなのだろうか。

「……やっぱ、彼氏だよ」
「もう遅い」
「うっそぉ……」

 まさかの展開だった。この男なら、彼氏がいても有無を言わさず奪い取るのかと思っていたのに。そんな節度のある遊び方をする男だったとは、誰が思うだろう。いや、遊んでいる時点で節度はないのだが。
 激しい脱力感に襲われたは、その場に手を着いてうな垂れた。




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