「ねえねえさん、今朝東航たちに追いかけられてなかった?」
「何かしたの?」
「大丈夫?」

 席に着くとほぼ同時に、数人の女子に囲まれた。
 目を丸くして、彼女らを見回す。どうやらあっさりと、噂は広まったようだ。

「えーっと……」
「あ、私、浅倉葵。で、こっちが紀子で、こっちが遥香。同じクラスになるの、初めてだよね? よろしく」
「えーっと、うん。よろしく」

 確か彼女らは、女子新体操部だ。水沢たちに突っかかっている光景を、よく見る。
 だからといって、彼女らを悪く思うつもりなどないのだが、もし自分が水沢の幼馴染だと知られたら、どう思われるだろう。そんな理由で、の周りには女子新体操部の友人など、今まで一人もいなかった。

「で、さっきの話なんだけど」
「いや、特に何もしてないかな……。少なくとも東くんに睨まれるような真似は」
「じゃあ、どうして?」
「いや、それが……」

 月森のことを話すのは、遠慮したかった。
 こうやって彼女らを見渡すと、どう見ても、自分よりも彼女らのほうが可愛いし、輝いている。月森がどうして自分に付きまとうのかが、まったく理解できない。

「月森、が……」
「月森? って、月森亮介?」
「呼んだ?」

 その場の温度が、氷点下まで下がったような気がした。と、三人は後に語る。
 いつの間にかの背後に立っていた月森が、ニコニコと笑いながら、の肩に手を置いていたのだ。

「おはよう、皆、今日も可愛いね」
「……」
「ごめん、さん。また後でね」
「じゃあね」

 三人はいともあっさりと、を見捨てた。
 もう何度も見捨てられているは、もはや絶望も出来なかった。クラス中の視線が、自分を哀れんでいることも、受け入れられた。
 だが、背後に立っているこの男の存在だけは、絶対に受け入れられない。

「……月森」
「ん? あ、何かいつの間にか呼び捨てにされてっけど、それなら俺もって呼んで良い?」
「いや、そうじゃなくて……手、どけてくれないかな」
「どかしたら逃げんだろ」

 読まれている。
 頭の中で考えていた現状打開策は、結局意味を成さなかったようだ。

「逃げないから」
「本当だな?」
「うん」
「じゃあ、離すぞ。せーの――ってほら! 逃げようとしてんじゃねえか!!」
「チッ」

 手が浮いた瞬間に立ち上がろうとすれば、月森はまるで予測していたかのように再び肩を押さえつけた。

「今度こそ逃げないから」
「絶対だな。逃げようとした瞬間に、秘密」
「わかってるって!」

 ちょっとした遊びのようなものだ。
 毎回素直に言うことを聞いていたら、きっと月森は調子に乗るだろう。だから、毎度毎度、こうして反抗してみせる。彼が秘密のことを持ち出すまでは、反抗してもきっと大丈夫なのだと、昨日と今日だけではっきりとわかった。
 手を離しても逃げないに、月森はご満悦の笑みを浮かべた。彼がここにいることで、半径3m以内の生徒たちは全員避難していて、誰もいない。ゆっくりとの前に回ると、座る人間のいなかった椅子に、反対向きに座った。

「なあ、今日どこ行く?」
「いや、どこも行かないけど」
「あ、そう? 実はさあ、航がまた新体操始めるって言い出して。俺も見に行こうと思ってんだけど、も行かない?」

 うんざりだ、という顔をしている。それなら、東を見捨てて帰ればいいのに、どうしてわざわざ見に行くのだろう。よほど彼のことが好きなのか。

「……まあ、拓もいるし、いいけど」
「そこで他の男の名前出すの、やめない? 俺の彼女なんだから」
「だから、彼女になったつもりはないから!」
「あ、つか、今日もメガネ? コンタクトは? まあメガネも悪くねえけど、やっぱコンタクトのほうが可愛いと思うんだよな」
「人の話を聞け!」

 机を叩くと、予想以上に大きな音が出て、逸らされていた生徒たちの視線がまた集まった。
 月森は、そんなに構うことなく、手を伸ばしてきた。ゆっくりと、メガネが外される。

「うん、やっぱ可愛いわ」
「……勝手に言ってれば?」
「でも、笑ったほうが、もっと可愛いと思うんだよね。そこんとこ、どうよ」

 メガネを奪い返す。どれだけ褒められようと、なびくつもりはない。
 悪いやつではないのだろうと、思うことは思う。だが、そうして胡散臭い笑いを見せている限りは、絶対に歩み寄ってやらない。

「月森だって、笑ってないじゃん」
「俺が? いや、超笑ってるって。ほら」
「……自分で気づいてないんだ」

 いつでもそんな笑顔なのだろう。彼自身も気づかないほどに、その見ようによっては愛想笑いにも見える笑顔は、根付いている。恐らく、東たちと一緒にいるときは、また違う笑みを見せるのだろう。

「何が?」
「月森のその笑顔ね、その辺の女の子に見せてるのと、同じなんだよね」
「ん? そりゃそうだろ」

 どう伝えればいいのかが、よくわからない。彼がそれでいいと思っているのなら、口出しする必要もないのかもしれない。だが、自分はそんなものを、ほしいとは思わない。

「月森の笑顔に、笑い返そうとは思わないよ。遊び相手ならそれでもいいのかもしれないけど、私、遊びに時間を割いてやるほど、優しい女じゃないの」
「んー……半分くらいしかわかんねえんだけど」
「わからないなら、出直してきて。どうしても私じゃないと嫌だ、って思ってくれない限り、私は月森に笑いかけるつもりはないから」

 自分の髪の毛をもてあそびながら、月森は考え込んだ。
 彼は、本気で恋をしたことがあるのだろうか。本気になったことがある人間ならば、自分の言いたいことを、何となくだとしても、理解してくれると思う。うまく言葉に出来ない自分が、もどかしかった。

「つまりさ、こういうことだろ」

 だが、月森は再び笑った。

「私以外の女の子を見ないで、ってこと」
「いや、違う……。そのくらいじゃないと、スタートラインに立たせてやらないってことであって、見ないで、とは言ってないから」
「照れるなって」
「違うってば! 馬鹿!」

 伝わった、のだろうか。
 曲解はしたようだが、月森は自分なりの方法で理解したのかもしれない。せっかく突き放そうとしたのに、予想以上に彼はたくましかった。
 忌々しげに睨み付けると、彼は相変わらずの笑みを浮かべた。




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