「里中さんパワー、恐るべしだな」
日暮里に支えられながら歩いている東の背中を見ながら、は一人感心していた。
恋というのは、これほど人に力を与えるのか。わずか10秒で音を上げた昨日とは違って、彼は今日、最初から最後まで、文句を言いつつも練習をやり遂げた。
一方の月森は、さっきから誰かとメールのやり取りをするのに夢中で、の言葉にさえ気づいていない。彼には、恋の力というものは無縁なのだろう。
「ちょっと休憩……!」
新体操部の練習がどれほどハードなのか、彼の様子を見ていればわかる。
悠太たちが、難なくこなしているので、それほどでもないのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。彼らがああして何食わぬ顔で歩いているのは、日々の鍛錬の賜物なのだ。
「東くん、大丈夫?」
「大丈夫に見えんのかよ……」
「い、いや、見えません、けど」
つい声をかけてしまったことを後悔した。
彼は睨むようにを見た後、先を行く悠太たちを目で追った。
「何であいつら、平気なんだよ……」
毎日一生懸命練習しているからだ。そう答えたかったが、どうせまた睨まれるに違いないので、何も言わなかった。
水沢がどんどん先へ行ってしまう。
本当は追いかけたかったが、今日は月森と帰ると約束してしまった。約束を破るわけにはいかないので、は怯えながらも東と一緒に歩いているのだ。
「……ん?」
「どした?」
羨むように水沢たちを見ていると、彼らが急に立ち止まっているのが見えた。よく見れば、ただ立ち止まったのではない。誰かに絡まれている。
「ちょっ……! あれ!!」
月森の袖を引っ張って、注意を引く。ようやく携帯から顔を上げた彼は、の指差す方向を見て、あ、と声を上げた。
「航、あれ」
「あ?」
東も顔を上げ、顔色を変えた。
「どうするよ、航」
「どうするって……助けてくれないの!?」
「いや、別に俺には関係ねえし。航ならともかく?」
なんという言い草。
顔を引きつらせたは、引っ張っていた袖を手放した。
「もう良い! バイバイ! 永遠に!!」
「おいっ、ちょっと……わかったから!! ちょっとした冗談だろ!!」
悠太たちの後を追おうとして駆け出したところを、月森と日暮里に止められた。
こういうときに、冗談を言わないでほしい。振り返って睨みつければ、ちょうど東が立ち上がったところだった。
「行くぞ」
「了解」
「姐さん、危ないんで、隠れてたほうが良いっすよ」
さっきまでの苦しみはどこへやら、東は悠太たちを追うために走り始めた。
日暮里には隠れていろと言われたが、彼らがどうなったのか、気になる。結局、はスクールバッグを小脇に抱えて、先を行く東たち三人を追いかけた。
「月森!」
「隠れとけっつったろ」
「だって、心配だったんだもん!」
やっと追いついて、月森の袖を再び引っ張った。
完全に喧嘩モードに移行していた月森が、睨むように自分を見下ろしたときは驚いたが、彼はすぐに表情を和らげた。
彼は、満面の笑みを浮かべて、首を傾げた。
「心配って、俺が?」
「いや、拓たちが、に決まってるよ」
「あー、はいはい。結局水沢ね」
がっかりだ、と口にした後、月森は視線を悠太たちに絡む不良たちへ戻す。吊り上げられた口元が、いつもとは違う雰囲気を醸し出している。
なるほど、こんな顔をするのか。は場違いにもそう思った。
いっそ、こんな攻撃的な笑みでも良い。自分に向ける作り笑いにも見える笑顔よりも、よほど人間らしさを感じられる。
瞬く間に始まった、大乱闘。大慌てで背後の廃材の後ろに隠れる。あんなところに立っていたら、それこそ自殺行為だ。
三人しかいないはずのこちらが、圧倒的優勢だった。彼らは、ほとんど傷を負うことなく、相手を殴り倒していく。だが、乱闘も終わりに近づいた頃。
「聡史!!」
悠太の叫び声が、響き渡った。
我に返る。場の雰囲気に飲み込まれていたのだ。
「……手首が」
「土屋くん!?」
駆け寄って、地面に座り込む土屋の顔色を覗き込む。その顔は真っ青で、額には冷や汗が浮かんでいた。
元を正せば、自分のせいかもしれない。
はさっきから、そればかりを考えていた。自分があの時、月森に助けてと言わなければ。いや、どちらにしろ東は助けに行くつもりだったようなのだが。
さっきから警官相手に怒鳴り散らしている東を見ながら、は息を吐いた。
「聡史!」
「どうだった?」
「骨に、異常はないそうなんですが……完治まで10日はかかるみたいで」
壁につけていた背中を浮かせる。沈痛な雰囲気が、場を包み込んだ。
10日ということは、交流戦には間に合わないということだ。部外者の自分がショックを受けているのだから、当事者である悠太たちのショックは、恐らく言葉では語りきれないほどだ。
「まあ元気出せよ、怪我は男の勲章って言うしな。何度も繰り返せば、いつか勝てるようになるって。今度絡まれたら、俺に言えよ! また助けてやっから」
東の明るい声が、病院の廊下に響いた。
自分も、彼と似たようなものだ。後先考えずに助けてと頼み、結果的に、土屋に怪我をさせてしまった。
「余計なことしないで欲しかった……」
「あ?」
顔を上げる。
悠太の目が、怒りに燃えていた。そのときようやく、知ったのかもしれない。
彼らがどんな思いで耐えていたのかということを。その震える目と声が、何よりも語ってくれていた。
悠太の言葉が、自分にも向けられているようで、胸が痛んだ。
「余計なことするなって言ったんだよ!!」
「何だとコラ!! 余計なことって何だよ!!」
東が悠太に掴みかかった。慌てて警官が駆け寄ってきて、彼を引き剥がす。
二人が睨みあう。
それはしばらくの間、続いた。
TOP NEXT