ひどい有様の部室を見渡して、ため息を落とす。
 これは全て、東たちのせいだ。ひどく苛立っていた様子だったから、こうなってしまうのも、予想の範囲内だった。
 悠太たちを先に練習へ向かわせて、は部室を掃除することにした。これもまた、自分のせいだと言われれば頷かざるを得ないような気がしたのだ。罪滅ぼしに近い。

「……わかんないな」

 どうして彼らは、こうして無遠慮に振舞えるのだろうか。
 悠太たち新体操部が、どれだけの思いを新体操に賭けているのか、それがわからないほどの馬鹿なのか。わかっていても馬鹿にしてしまうような、心無い人間だったというわけなのか。
 床に落ちたタバコの吸殻を箒で集めて、ゴミ袋に放り込む。倒れたテーブルを起こそうと手をかけていると、部室のドアが開いて火野が入ってきた。

「……あ」

 火野は、掃除をしているを見て妙な表情で反応を示した後、軽く息を吐き出して、部室の隅に置いてあるマットに近寄った。
 火野とは、一言も言葉を交わしたことがない。彼はいつでも一人で練習していて、関わることなどなかったのだ。それに、どこか怖い。他人と一線を引いているから、というよりも、悠太たちを見る目が冷たいから。少なくとも、好意は抱かれていないのだと思う。
 一人で寂しい、という感情は、彼に存在するのだろうか。

「先輩」

 気まずさの中で考えていると、突然火野が喋った。
 いや、もちろん人間なのだから喋るのだが、まさか自分に話しかけるとは思っていなかった。

「え、私?」
「あの三人、いい加減に追い出してくれませんか」

 可愛い顔をしているのに、意外とものをはっきりと言うのだ。
 思わず彼の顔を凝視してしまった。

「いや、私には、無理だと思うけど」
「そうですか? 一人、何でも言うこと聞きそうな人がいるじゃないですか」
「……えーっと、それはもしかして、月森のこと?」
「そんな名前なんですね」

 買いかぶりだ。テーブルにかけていた手を離し、上体を起こす。
 とにかく火野は、あの三人が目障りで仕方がないのだろう。あの三人が目障りでない人間など、そうそういないとは思うが、これほど敵意を表に出している人間も珍しい。彼らには、誰も逆らえないのだと思っていた。ただ耐えるしかないのだ、と。

「月森も、私の言うことなんか聞かないよ。あいつは、ただ私で遊んでるだけだから」
「……」

 火野が無言でを見つめる。
 それから彼は、さらりと流れるように言った。

「そうでもないと思いますけど」

 首をかしげると、火野が近づいてきて、テーブルの反対側に手をかけた。とっさに同じように手をかけて、テーブルを起こす。

「……ありがとう」
「いえ。さっさと終わらせて、キャプテンたち追いかけたほうがいいですよ」

 そのまま、彼は出て行った。
 クールだし、何を考えているのか読ませてくれない。だが、その無表情さの下には、恐らく優しさが眠っている。
 起き上がったテーブルを見下ろして、は口元を吊り上げた。



 人にはきっといろいろな一面があって、多くの面を、普段隠して生きている。
 それは自分にも確かに言えることだ。誰にも見せられない一面、誰かには見せられるが他の誰かには見せられない一面、誰にでも見せられる一面。そんな多くの面をうまく使い分けながら生きている。
 だから、うまくいかないことも多くある。人間関係は難しい。
 だが、今目に見えている面が真っ黒でも、裏返せば、真っ白かもしれないから。だから、少しずつでもいい、歩み寄ってみよう。そう思っていた。

「……拓?」
「ああ、……」

 力なく振り返った水沢が、首を横に振った。
 もう限界だ、という意思表示だったのかもしれない。
 体育館は、ひどい状況だった。が顔を出したときにはすでに、悠太が泣きながらマットの上に座り込んでいた。

「出たかったよ……。ずっと団体に出たいと思ってた」

 小さな声だったが、それははっきりと耳に届いた。

「子供の頃、初めて見たときから……俺もあんなふうにタンブリングしたいって、ずっと思ってた」
「……くだらねえ」

 夢だったのだ。長年見続けてきた、大切な夢。
 その夢を、今まさに彼らは踏みにじった。

「……お前にはわからないだろうな! カッとなったら、すぐ怒鳴ったり暴力振るうような奴には! 本当に大切なもののために、どんなに苦しくても悔しくても我慢するとか、お前には絶対わからないだろうな!」
「ああわかんねえよ!!」
「だったらもう、俺たちには関わらないでくれ!!」

 悠太の心の底からの叫びだった。
 胸の中に暖めてきた夢と、仲間との思い。彼らにとって、それが一番大切なものだった。
 東たちには、それすらも伝わらなかったのだろうか。自分たちにも大切なものがあるだろうに、他人の大切なものを――

「それをお前が壊したんだ!!」

 は、知っている。
 水沢がどれほど新体操への思いを持っていたか。ずっと聞かされていたから、まだ出会って一週間も経っていない悠太たちの気持ちも全て理解できた。
 壊れてしまった夢のかけらまで、はっきりと見えたような気がした。

「だせぇんだよ、新体操なんか」

 それでもまだ、伝わらないのか。これだけ傷ついた人を目の前にしても、その思いが伝わらないのか。踏みにじることができるのか。

「それでも……俺にとっては全てだったんだ」

 ふらふらとマットに近づく。上履きを脱いで、悠太に近寄った。
 頬に伝う涙を拭うと、悠太は怯えたように一歩引いた。

「……神経疑う」

 声が、ひどく震えていた。
 涙を流すほど傷ついている人がいるのに、その心を更に傷つけるような真似をして。自分にとってはどうでもいいものであっても、誰かにとっては大切なもの。そんなものがあるということを、彼らは知らないのかもしれない。
 そして、知らないままで平気だと言うのなら、彼らはもう人の心を持ち合わせていないとしか思えなかった。

「いいところもあると思ってたのに」

 誰に言っているのか、自分でもわからなかった。
 目は東を見ていても、言葉は違うのかもしれない。

「もう二度と、私に近寄らないで。あんたと一緒になんか、いたくない」

 思い切って、月森に視線を移した。
 彼は目を丸くして、を見つめていた。口がかすかに動いたが、彼が何と言ったのかは聞き取れなかった。
 どうせ、すぐに飽きる予定だったのだ。その日が、少し早くなっただけ。
 所詮、どれだけ歩み寄ろうと試みても、不良は不良。違う世界で生きている人間だ。相容れるはずがなかった。僅かな諦めとともに自分を納得させ、は彼らに背を向けた。
 月森は、何も言うことなく、東と一緒に体育館を出て行った。





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