が月森亮介と付き合っている、という噂が広まるまでに、そう時間はかからなかった。
のことを知っている者は皆、こぞってそれはありえない、と否定したらしい。
何せ彼女は、教師の覚えも良く、成績も良く、難点があるとするならば、授業中の居眠りが多いこと、という程度の、絵に描いたような優等生だったのだから。いや、居眠りをする時点で優等生ではない、という意見もあるらしいが。
とにかく、それまで目立つことなどなく、どちらかというと可に近いところで生きてきた彼女と、学校一目立つグループで、限りなく不可に近い月森のコンビは、どう見ても不釣合いだとしか思えなかった。
「ただいまー」
「お帰りなさい。遅かったわね」
「ああ、うん。今日も拓と帰ってきた」
「そう? まあ、水沢くんと一緒なら大丈夫だろうけど、あんまり遅くならないようにしなさいよ? あなた、今年は受験生なんだし、もっと勉強しないと」
遅く帰ってきた日の決まり文句だ。
は適当に聞き流して、階段を上った。今年は受験生、という言葉が耳に痛かったが、事実なのだから仕方がない。両親の期待も、これでも以前よりは薄まったほうなのだから、この程度で文句など言っていられなかった。
「姉ちゃん」
「うわ、びっくりした……」
階段を上りきったところで、弟のサツキと鉢合わせした。
相変わらず、自分を見る目が冷たい。こうやって話しかけてくれるだけ良いのかもしれないが、口を開けば自分に対する敵意しか伝えてこないこの弟が、はやはり苦手だった。自業自得ではあるのだが、血の繋がった弟に嫌われて、平気だといえる人間がいるなら会ってみたい。
「何?」
「噂になってんだけど。学校中で」
「……」
何のことか、一瞬で理解した。サツキの髪の毛は、月森を連想させるような明るい色で、それがの思考回路を助けたのかもしれない。
「付き合ってんの? マジで?」
「いや、それは嘘だよ。付き合ってない」
「どっちでも良いけどさ、やめたほうが良いと思うよ。今日職員室に行ったら、教頭たちが喋ってんの聞いた。良い生徒だと思ってたのに、あんな奴と付き合いだすなんて、ってね」
仕方のないことだと思う。不釣合いなのは確かだ。
それは、教師たちが言うように、優等生とされているに不良の月森が似合わない、ということでもある。だが、にとっては逆もまた然り。8人も彼女がいるという実績は、伊達ではない。それだけ、人気があるということだ。そんな彼に、どちらかというと地味に生きてきた自分は似合わないと思う。
サツキは、のそんな考えを読んだかのように、鼻で笑った。
「それに、遊ばれて終わりに決まってるし」
何か、胸が突き刺されたように痛んだ。
部屋に入っていくサツキを見送りながら、首を横に振る。月森はそんなことをしない、と言ってやりたかった。だが、は何も言えなかったのだ。
次の日の昼休み、は月森と二人で屋上にいた。ほぼ無理やり連行されたのだ。二人で歩けば歩くほど噂は広がるというのに、月森はそれを楽しんでいるかのようだ。
しかし、今日の彼はどこか元気がなかった。
「あー……」
「何、その声」
屋上の柵に手を置いてグラウンドを見つめていた月森の隣に立つ。
「だって、最近航が冷たい」
「何、月森って、男もいける感じ?」
「ちげーよ」
冷静に否定された。
顔を覗き込むようにして首を傾げると、彼は目を逸らしてポケットからタバコを取り出した。
「あっ、ちょっとタバコはやめてよ」
「お前が言うなよ」
「私はもうやめたんだから。臭いつくし、体にも悪いじゃん。吸うんなら、あっち行って」
今日の月森は、少々苛立っているようだ。隠しもせず舌打ちをすると、しぶしぶタバコを元のポケットに戻した。一緒にいるのが自分でなければ、彼は新体操に対する愚痴の一言でも言って、タバコを吸う。それで苛立ちは解消されたはずだ。
「東くんだって頑張ってるんだから、我慢してあげなよ。大会までの辛抱だって」
「そりゃそうだけど」
「東くんだけが夢中になってて、寂しいんでしょ」
「そんなんじゃねえよ」
月森は深くため息を吐き出した後、に手を差し出した。
「飴とか、ガムとか持ってねえ?」
「持ってないよ。残念ながら」
「じゃあ、キスで良い」
「突き落とすぞ」
だって口さびしいんだもん。月森は可愛らしくそう言って、離れた椅子に座った。
結局、誘惑に耐え切れなかったらしい。少しでも我慢しようとしたのだから、離れて吸う分には見逃してやろう。はそう思って、煙が届かないところまで移動した。
「あ、そのライター、まだ使ってんだ」
「ん? ああ、これ、俺の宝物」
「馬鹿じゃないの」
タバコのおまけについていた、可愛らしいデザインのライター。どう見ても女性向けのデザインだが、月森が持つとそれなりに似合うから怖い。
「ところで、」
「何?」
「お前は、新体操部に入らねえの?」
はあっさりと頷いた。
自分はあくまでも、手伝いでしかない。そもそも、部員が6人しかいないのだから、もともと大した手伝いなどしていないのだ。新体操の知識もないし、彼らはほとんどのことを自分たちでやってしまうから。
「水沢とか、一生懸命やってんじゃん。お前、水沢のこと大好きみたいだし、入部すんのかと思ってた。寂しくねえの?」
「別に、今までだってそうだったんだし」
「ふうん……」
煙を吐き出した月森は、それで満足したのか、テーブルの上にあった灰皿にタバコを押し付けて近寄ってきた。
「一応、受験勉強しろとか、親も言ってるし」
「なるほどね。寂しく思う暇もないってわけか」
「まあ、他に遊ぶ相手だっているし。それに」
ちらりと月森を見ると、彼はきょとんとして、首を傾げた。
「あんたもいるしね。寂しく思う暇もないくらい、うるさいから、平気」
「……それ、喜んで良いんだよな」
「ご自由に」
からかうように笑う。最初は面倒なだけだと思っていた彼のことを、今では一緒にいて楽しいとまで思えるようになった。それはきっと大きな進歩だ。
と、思っていると、月森は何を勘違いしたのか、手を握って顔を近づけてきた。
あわやキス、というところで、とっさにその手を振り払い、突き飛ばす。
「何してんの!?」
「いや、流れ的にキスかなあって」
「どんな流れよ! 馬鹿! 変態! 馬鹿!」
「馬鹿って二回言うなよ!」
一気に顔が熱くなった。
逃げ出すしか選択肢がない。心臓が大きく鼓動を打ち、手がかすかに震えていた。
屋上を出て行くを、月森は追いかけようともしなかった。だが、彼の声だけははっきりと、彼女の耳に届いた。
「俺、マジでのことが好きだから」
馬鹿じゃないの!
はそう叫んで、屋上から伸びる階段を駆け下りた。
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