「ちょっと、何?」

 屋上のソファに座って本を読んでいると、月森が近づいてきて隣に座った。
 それだけなら気にしないが、眉間に皺を寄せたまま、更に近寄ってきた。何かしてしまったかと不安になると同時に、これ以上距離をつめられると危ないという意識もあって、はついに立ち上がった。

「いや、お前さ、今日やたら甘くね?」
「……意味わかんないんすけど」
「だーかーら、甘い匂いがするっつってんの、香水?」

 そういうことか。
 何かよからぬことでも考えているのかと思って、無意味に警戒してしまった。再び月森の隣に座って、本を閉じる。

「香水じゃないよ。悠太くんたちを励まそうと思って作ってきたチョコレートケーキの匂いだと思う」
「チョコレートケーキ?」
「そう。今朝渡したけど、まだ匂いがついてたんだね」
「あ! そういや、朝から航がやたらうまそうなの食ってると思ったら! あれ、手作りかよ!」

 ずるい、と月森は喚く。
 そう言われても、あれはこれからも頑張れという気持ちをこめて作ったものだから、月森に食べさせる意味はない。新体操部でもないのだから。

「俺のは?」
「いや、だからないってば」

 図々しいにも程がある。
 どうして自分の分も用意されていると思ったのか、そこに至るまでの思考回路を知りたい。そう思ったが、何となく答えは予想できたので、無視した。
 本の続きを開いて、視線を落とす。
 だが、彼がこの程度で引き下がるとは思っていない。のその予想は、見事に当たった。

「ちょっと……」

 腕を回してくる月森を、肘で押しのける。
 彼は全く堪えた様子も見せず、ニコニコと笑いながら、脅迫するようにじりじりと距離を詰めてくる。

「じゃあ、甘い匂いだけで我慢してやるから」
「何でそんな偉そうなの!?」
「良いじゃん、別に」
「良くないよね!? 良くないよ、これ!」

 のけぞっていたら、いつの間にか押し倒されているような格好になってしまった。あまりにも動揺しすぎて、本が手から滑り落ちる。
 だが、その時だ。まるで天から助けが遣わされたかのように、屋上の扉が勢い良く開いた。そうして。

「大変っす!! 姐さん!!」

 飛び込んできた日暮里は、そう叫んだまま、固まった。

「――あ」
「日暮里、邪魔」
「すすす、すみませーん!! ごゆっくり!!」
「ちょっ、ちが、誤解いいいい!!!」

 の絶叫が、青い空に響き渡った。

「いやー、危なかったすねえ、姐さん」
「惜しかったんだよ。お前も男ならわかるだろ」
「わからなくて良いから、日暮里くん……」

 結局、日暮里はあまりにもが必死に助けを求めてくるので、この状況はおかしいのだと気づいてくれたようで、月森を背後から引き剥がしてくれた。肩で息をしながら乱れた髪の毛を整えて、は日暮里の背後に隠れる。

「何だよ、ちょっとからかっただけだろ」
「ちょっとじゃなかった! 目がマジだった!」
「そりゃ、マジだったけど」

 あわよくば、とか考えたし。
 月森はあっさりとそう言い放って、地面に落ちたままだった本を拾い上げた。

「あ、そういえば日暮里、お前何の用だったんだよ」
「はっ! そうだった!! やばいんすよ、姐さん!」
「えっ、何が!?」

 自分としては、さっきの状況以上にやばい状況というのが思い浮かばないのだが。
 だが、日暮里の様子から見るに、事態は相当切迫しているに違いない。

「それが、新体操部がやばいんすよ!」
「え?」
「その……えっと」
「何?」

 突然日暮里の歯切れが悪くなったので、は首を傾げた。月森から本を受け取って、砂を払い落とす。

「兄貴が、鷲津の奴に掴みかかったから、あっちから抗議されたらしいっす、それで、新体操部は三日間の活動停止で、で……兄貴も、新体操部やめるって」
「!?」

 新体操部の活動停止か、それとも東が部活をやめることか。は、そのどちらに動揺したのか、自分でもはっきりとはわからなかった。
 思わず屋上を飛び出そうとしただったが、ほぼ同時に月森に腕をつかまれ、立ち止まらざるを得なかった。

「何すんの!」
「いや、お前が行っても別に何も変わんねえだろ」
「……! そりゃ、そうだけど!」

 月森の言葉はたまに冷たいが、それが核心をついている場合があるのだ。
 きっと今、新体操部の面々は落ち込んでいるだろう。今こそ水沢の元に駆けつけるべきだとは思ったが、実際にどう励ませばいいのかがわからない。

「つーか、決まったもんはしょうがねえだろ。胸倉掴んで活動停止三日、その程度で済んで良かったんじゃね?」
「……」
「航だって、もともと一ヶ月だけの予定だったんだし、元に戻るだけ」

 言い方は冷たいが、彼なりに状況を冷静に分析しているだけなのかもしれない。

「でも、東くん、やっとやる気出してたのに」
「まあ、そりゃそうだけど。でも、あいつが決めたんだろ、新体操はやめるって」
「月森は冷たいよ」
「だって俺、部外者だし?」

 可哀相だとは思うけどな。月森は携帯を取り出しながら、そう言った。
 言い返せない。ここで感情的になっても、意味はないだろう。それを月森は体現しているだけなのかもしれない。

「俺だったら、活動停止が明けたら頑張れ、としか言えねえよ。どんだけ考えてもな。それとも、お前はそれ以上のこと、言えんの? お前が何か言ったら、活動停止が撤回されんの?」
「……そういう言い方」
「でもお前も、わかってんだろ?」

 パチンと携帯を閉じて、彼は同意を求めるように日暮里を見た。
 悔しいが、日暮里だろうが自分だろうが、月森の意見に反論できるほどの考えはないだろう。

「航のことはともかく、あいつらのほうは、活動停止が明けるまで見守ってやれよ。で、明けたらまた、一緒に頑張りゃ良いじゃん」

 今はそっとしといてやったほうが良い。
 もっともらしい言葉を吐いて、月森は屋上を出て行った。
 ――と思ったら、すぐに戻ってきて顔を出した。

「あ、、じゃあ今日から暇だろ? 帰り、寄り道しようぜ!」
「結局それかよ!」





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