何があったかなど、話せなかった。
 一日中上の空で過ごしているに、水沢も東も無理に話しかけようとはせず、月森の話題も振ることなく、そっとしておいてくれた。
 「好きになるかもしれない」が、「好きだ」に変わったのは、皮肉にも彼が「嫌いになれ」と言ったからだった。必死に拒絶し、拒絶させようとしている彼を見ているのがつらかった。何もわからないような子供ではない。その言葉と態度の裏にある彼の叫びを聞いた。
 今はただ、彼を連れ戻したかった。
 その後のことは、どうでも良い。付き合いたいなどという願望もないし、束縛をするつもりもない。
 ただ、今までどおり、笑っていてくれればそれで良い。

「よう」
「おはよ」

 屋上に入ると、東がぼんやりと座っていた。それ以外に何もすることなく、ただ火のついていないタバコを指でもてあそんでいるだけ。

「亮介、来てたか?」
「まだ見てない」

 結局あれから、月森は教室に戻ってこなかった。一日中、彼のいない教室で過ごすことはひどく苦痛に思えた。たった一人消えてしまっただけで、世界はずいぶんと静かになった。

「お前さ、亮介にマジなのかよ」
「……うん」

 あっさりと認めたに、東は驚いたようだ。
 無言で何度か頷いて、その後ようやく、そうか、と呟いた。

「でも、付き合いたいとかは、思わないかな」
「は?」

 東の真向かいに座って、苦笑する。
 本当に、自分に対する苦笑しか出てこないのだ。あれほど拒絶しておいて、結局こんなに早く彼に囚われた。

「っていうか、まだ不安なんだよね。ほら、東くんもわかるでしょ?」
「……まあな」

 誰よりも月森の傍にいた東なら、の言いたいことがはっきりとわかるはずだ。
 彼女が8人いる、などと平気で言う男に、いくら好きだとしても、自分の身を預けられると思うか。
 東はしばらく目を伏せて何かを考え込んでいたが、パッと顔を上げて、身を乗り出してきた。

「でもな、あいつは、お前のことマジで」
「わかってる。あいつが本気だってことくらい。でもさ、不安だと思ってる限り、いつまでも信じられないでしょ。だから、いつかはどこかで踏み切らなきゃいけないんだけど……。まあ、こんなこともあったしね、しばらくは様子見」

 今はただ、彼を連れ戻すことだけを考えていたい。
 背もたれに体を預けて、足を組む。見上げた空は、目に痛いほど青かった。

「亮介が元に戻ったら、あいつと付き合うのか?」
「さあねえ、正直今のままでも十分楽しいし……。でもまあ、彼氏候補くらいにはなるかもね」
「お前、偉そうだな」
「そう? 月森だって、私のこと彼女候補にしてんだから、良いじゃん。それにあいつには、私以外にもいっぱい彼女がいるんだから」

 東は笑って、タバコに火をつけた。
 いつもならば煙から遠ざかるところだが、何となく動く気にもなれず、自分とは反対の方向に流れていくそれを目で追った。
 ふと、煙が大きくぶれた。

「兄貴!!」

 それはきっと、日暮里が転がるようにして飛び込んできたからだ。

「あ、姐さんも! ちょうど良かった……!!」
「おい、どうしたんだよ」
「亮介さんがっ!!」

 東の手から、タバコが落ちた。
 日暮里はひどく息切れしていて、地面に手を着いたまま、しばらくはまともに喋ることができなかった。ようやく落ち着いた彼を隣に座らせ、背中を撫でてやる。

「大丈夫?」
「っす、いや、まさか姐さんもここにいるとは」
「うん、良いから、どうしたの?」

 話の続きを促すと、日暮里はテーブルにこぶしを叩き付けた。

「亮介さん、昨日、変な奴らとつるんでてっ……俺、声かけたんすけど、無視されて」
「変な奴ら?」
「あいつら、絶対やばいっすよ!! 駅前のバイク置き場の鍵、壊そうとしてたし!」

 空気が張り詰める。
 それはつまり、月森が犯罪の片棒を担いでいるということなのだろうか。

「警察に見つかって、亮介さんもそいつらと逃げたから、たぶん捕まってはないと思うんすよね。俺も警察で話聞かれたんですけど、捕まったとは聞かなかったし」
「日暮里くん、大変だったね」
「や、でも亮介さんのことは何も話してねっすから!」

 親指を立てた日暮里が、中途半端な笑顔を見せた。
 だが、東は何も言わない。しばらく何かを考え込んで、ようやく口を開いたとき、彼は日暮里を見据えていた。

「日暮里、お前、バイトは」
「へっ?」
「昨日もバイトっつってたじゃねえか! 警察で話聞かれたんだろ、バイトはどうしたんだよ!」

 日暮里の顔が一気に青ざめた。
 嫌な予感を覚えて、眉間に皺が寄る。

「や、でも俺のことはどうでも良いっすから」
「ふざけんな! どうでも良いわけねえだろ!! お前、家のためにバイトしてんだろ! 何でそんな笑ってられんだよ!」
「家のため……?」
「あ、うち、貧乏で、それで俺もバイトくらいして親父を助けなきゃいけないんすよ」

 初耳だった。いや、日暮里がバイトをしている時点で何か事情があるのだろうとは思っていたが、それほど切羽詰っているとは思っていなかったのだ。自分の小遣いは自分で稼ごう、という程度の理由だと思っていた自分が、馬鹿らしい。

「いや、でも兄貴、バイトならまた探しますし」
「日暮里……」
「それより、亮介さんとこに行きましょうよ! 俺、あのままなんて、嫌っすから、事情聞きに行きましょ!」

 日暮里が明るく笑う。
 彼は、月森のためにそうやって笑っているのだ。自分が悲しんだり怒ったりすれば、それが全部月森のせいになってしまうから。

「馬鹿だな、あいつ……。こんなに良い仲間がいるのに」

 はにかむ日暮里の頭を軽く叩いて、立ち上がる。
 今度こそ絶対に逃がさない。そんな気持ちをこめて、手のひらをぐっと握り締めた。




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