「行ってきます!」

 今朝は少しだけ寝坊した。
 昨夜、月森のメールに珍しく一生懸命返信したからだ。普段は、適当に切り上げる。中身のないメールに付き合っていられるほど自分は可愛い女の子ではないと思っていた。他の彼女だったなら、喜んでメールを続けるだろうが。
 浮かれていないわけではない。
 これでも中身は普通の女子高生だと思っているし、それなりに乙女心のようなものも持ち合わせているから。月森が、自分のことを特別扱いしてくれるのが純粋に嬉しくて、自然と笑いがこぼれてしまう。
 そんなを、弟であるサツキは冷めた目で見つめていたが、今回ばかりはそれも気にならなかった。このくらいは、許して欲しい。

、待って」
「何―?」
「サツキがお弁当を忘れていったのよ。届けてくれない?」

 玄関を開けようとした体勢のまま、は動きを止めて振り返った。

「サツキに?」
「当たり前じゃない。あなたたちも、いい加減に仲直りしなさいよ。血の繋がった兄弟が憎みあってるなんて、お母さん悲しい」
「憎みあってはないよ」

 サツキが一方的に敵意を燃やしているだけだ。
 それに、その原因の一端は、両親にもあるのだ。それに気づかず、ただの姉弟喧嘩だと思っているのだから、は白けた。何も言わずに結果で示そうと考えているのは、そのせいだ。両親、特に父親は、過程など見ていないのだから。

「わかった」
「今日は遅くなるの?」
「うーん、わかんない。遅くなるときは連絡する」

 母親は、の帰宅が遅い理由を、学校で勉強しているからだ、と思っているらしい。
 以前ならともかく、今は勉強などしていない。授業が終われば、さっさと荷物をまとめて、新体操部の練習を見に行くか、月森と適当にその辺を歩き回るか。もちろん、たまには授業でわからなかったことを質問したり、課題を学校で片付けたりはするが、最近ではそれも稀だ。
 少し、気を抜きすぎていたかもしれない。いろいろとありすぎたから。

「お、じゃねえか!」

 学校に到着すると、ちょうど練習を終えたらしい新体操部と鉢合わせした。
 昨日から練習に参加し始めた月森と日暮里は、ぐったりとしていて顔も上げない。水沢に背中を叩かれて、月森はようやくの存在に気づいたらしい。

「おはよう」
、助けて……水沢が鬼だ」
「だから、新体操をやるには、柔軟が大事なんだって。なあ、
「そうそう。拓の言うことは全部正しい」

 お前はどっちの味方だ。そう言って月森がうなだれたため、は笑った。
 そして、ふと気づいた。新体操部には、土屋がいる。

「土屋くん、ちょっと良い?」
「えっ? はい、何でしょう」
「ちょっと、お願いがあるんだけど、良いかな?」

 誰にも気づかれないよう、土屋を連れて物陰に入る。
 土屋ならば、うまくサツキに弁当を届けてくれそうだと思ったのだ。

サツキって、知ってる?」
くん、ですか? あれ? 先輩、もしかして……」
「あの子、私の弟なの」
「えええ!?」

 土屋が珍しく大声を上げて驚いた。
 無理もない。サツキは入学直後に髪の毛を明るくし、制服も着くずしていて、到底普通の生徒には見えないのだ。そのうち東たちに目をつけられるのではと心配していたが、今のところそんなこともなく、平和に過ごしているらしい。外見はともかく、成績も良いし、スポーツも万能で、教師も扱いに困っているらしかった。

「これさ、お弁当。忘れてたみたいだから、届けてくれない?」
「は、はい、わかりました」
「怖いかもしれないから、適当に渡すだけで良いよ。他のことは、気にしなくていいから」

 できれば、必要以上の会話は交わして欲しくなかった。
 土屋とサツキが仲良く会話するはずがないとは思っても、は不安だった。


「あの……くん」

 登校した土屋は、から預かったサツキの弁当を持って、隣のクラスを訪れていた。
 サツキは、目立っていた。見た目は不良だというのに、成績はいいらしい。また、スポーツも万能らしく、必然的に女子の人気も高い。ただ、いかんせん彼はほとんど笑わなかった。いつでも一人で、誰も寄せ付けない雰囲気をかもし出している。

「何? つーか、誰?」
「あ、あの、僕、土屋聡史っていいます」
「うん、それで?」

 思い切って話しかけると、意外とあっさりと振り返ってくれた。相変わらず笑わないが、威嚇してくることもない。内心安心しつつ、弁当を差し出した。

「これ、先輩から預かりました」
「……は?」
「お弁当です。くん、先輩の弟なんですよね?」

 だが、の名前を出した途端、彼は音を立てて立ち上がった。その目に、隠しきれない敵意のようなものが宿ったのを、土屋は見逃さない。思わず一歩下がったが、逃げる前に腕をつかまれて、引きずられるようにして教室の外に連れ出された。

「……土屋、お前、何であいつと知り合いなわけ?」
「えっ、あいつって……先輩の、こと」
「そうだよ。何であいつが一年のお前と知り合いなんだよ」
「えっと、僕、新体操部で」

 混乱した。
 どうして、彼はこれほど苛立っているのだろう。

先輩、水沢先輩と仲良しだから、いつも練習手伝ってくださってて……」
「……いつもって、毎日か?」
「いえ、毎日じゃなくて……でも、僕が怪我してたときは、毎日」

 身が竦んだ。サツキの目には、もはや姉に対する慈しみのようなものは全くなかった。
 何かを考え込んでいるようなそぶりを見せていたサツキだったが、ある瞬間に顔を上げ、口元を吊り上げた。

「ありがとな、土屋」
「えっ……あの、くん」
「……水沢先輩に伝えといてくれるか? うちの姉がお世話になってます、って」
「は、はい……」

 放課後、土屋は言われたとおりのことを水沢に伝えた。
 サツキの名前を出した瞬間、水沢は表情を強張らせ、そうか、とだけ言った。確実に、何かがある。水沢の眉間に寄った皺を見ながら、土屋は言い知れぬ不安を覚えた。




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