土屋に弁当も預けたし、これで心配はなくなった。
 足取りも軽く教室へ向かっていると、目の前に月森が現れた。

「月森?」
「あ、やべ、だ」
「何よ、その言い方」

 いつもは自分を見て輝く目が、今日は違う。悪戯が見つかった子供のような顔をして、月森は顔を背けた。
 また何かよからぬことを考えているのだろう。
 大またで近寄って、月森の顔を覗き込む。

「どこ行くの? もうすぐHR始まるよ?」
「いやー、ほら……ちょっと」
「ん?」

 あからさまに焦っている月森の表情が面白すぎた。
 わざと追及してやると、彼は一歩下がった。

「体中痛いから、ちょっと保健室で寝ようかなーとか思ったような、思わなかったような」
「つまり?」
「教室に戻ります……」

 うなだれた月森を引っ張って、教室に向かう。
 初めて柔軟をした次の日の体の痛みは相当なものだと、水沢に聞いたことがある。体中が痛いというのは恐らく嘘ではないだろう。だが、だからと言って授業をサボるのはよろしくない。

「まったく、月森は」
「別に良いじゃん」
「良くない。新体操部の印象を悪くするようなこと、しないでよ」
「はいはい。はいっつも水沢の味方ですからねー」

 拗ねたようについてくる月森を振り返って、頷いてやった。水沢の味方、その言葉に間違いはない。

「ところで、ずっと言いたかったんだけど」
「何?」
「その月森呼び、いい加減やめようぜ」
「ああ、そういえば」

 呼びなれているせいで、つい苗字で呼んでしまう。いつの間にか悠太や水沢たちも、月森のことを亮介と呼び、東のことを航と呼ぶようになっているようだったから、そろそろ自分も亮介と呼んでもいいかもしれない。
 ――が。

「うーん……何か恥ずかしい」
「そういうも可愛いとおも」
「気持ち悪い」
「……しゅん」

 通りすがりの生徒が、に引っ張られる月森を見て、苦笑してすれ違っていく。
 最初はこの異様な組み合わせに、もしかするとが月森に何か脅されているのではないかと心配した人もいたようだが――いや、実際に脅されてもいたのだが――今ではすっかり、二人のやり取りは恒例となっていた。
 もちろん、今でもこの組み合わせに首を傾げる人間のほうが多いのだが、少なくとも、3年E組の生徒たちはすっかり適応してしまっていた。

、今日一緒に帰らね?」
「よく喋る男だな……。嫌だ。今日は本屋に行く予定だから」
「じゃあ明日」
「明日は美樹と一緒に買い物に行く約束したから」

 月森と一緒に帰るということは、新体操部の練習が終わるまで待たなければならないということだ。今までも水沢と一緒に帰っていた日はそれくらい遅かったわけだが、これから数日は少し自重しようと思った。学校で勉強していると思い込んでいるらしい母親を騙し続けることに、気が引けたのだ。

「ごめんね。また今度付き合ってあげるから。由紀ちゃんで我慢してあげて」
「由紀ちゃん、は、いねえな……沙希ちゃんならいるけど」
「じゃあ沙希ちゃんで」
「うん……って何だこのやり取り。おかしいだろ!」

 俺はと帰りたいの、と喚く月森を無視して、教室に入る。
 相変わらず漫画から顔を上げない木山が、月森のあまりのうるささに辟易したのか、顔をしかめた。

「ほら! 木山くんがうるさいって! 早く席着いて!」
「木山、俺と席交換しない?」
「うっわ、月森の隣で授業受けるとか耐え切れない。あんたが木山くんと席を交代した時点で、私は木山くんと席を交代するから。あ、それ良い。私も窓際が良い」
……実は俺のこと嫌い?」

 勝手に名前を出されているが、木山は反応を示さず、ページを捲り続けている。
 これ以上ごねても良い結果は望めないと、ようやく悟ったらしい月森は、ポケットから携帯を取り出して、

「じゃあ、今日は沙織ちゃんと会おうっと」

と言った。
 19時まで部活をして、その後女の子と遊ぶのだから、月森はすごいと思う。

「良いのか?」
「何が?」

 月森が消えて静かになったところで、木山がようやく口を開いた。

「月森と、付き合ってんだろ」
「うわ……何でわかったの」
「雰囲気が違う」

 どこが違うのか、自分ではわからないのに、木山にははっきりと感じられたのだろう。

「他の女の名前出されて、よく平気でいられんな」
「木山くんは、平気じゃないタイプなんだ。へえ……」
「……俺の話じゃねえだろ」

 木山相手に冗談を言うのは、流石に危険すぎたか。彼の声が低くなったことに気づいて、は苦笑した。

「うん、まあ、完全に平気ってわけじゃないけどさ。でも、あいつのあれは病気だから。それに、半分は私の気を引きたくてやってんだと思うんだよねえ。確信はないけど、今日もたぶん、沙織ちゃんとは会わないんじゃないかな」
「……」
「今、馬鹿じゃねえのって思った?」

 自分でも馬鹿だと思う。信じられる根拠など、どこにもないのに。
 だが、それでも信じたいから。

「亮介は、私のことを特別だと思ってるの。それだけは、信じられるよ」

 薬指に光る指輪に触れて、笑う。
 呆れたようにページを捲った木山が、

「だったら最初からそう言ってやれ」

と、呟いた。




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