日暮里の分の飲み物と、自分の夕飯を買って、はコンビニを出た。
明日はふれあい祭りだ。今頃、水沢たちは4人の演技構成で練習しているのだろうか。そう思うと、やるせなくなった。
不安要素が山のようにあって、押しつぶされそうだ。
自分のこと、月森たちが新体操部をやめたこと、日暮里が一人で仕事を抱え込んでいること。これほど悩みが重なるのは、人生で何度あるだろうか。
「日暮里くーん。コーラとサイダーどっちが……」
工場に踏み込んだ瞬間、は異様な雰囲気を感じ取って、顔を上げた。
これは夢か、と思った。
「……えーっと、どうやら足りないみたいだから、買い足してくるわ」
「待て」
ごく自然に背を向けたはずなのに、水沢は動揺一つ見せず、の腕を掴んで引き止めた。
どうして、新体操部が勢ぞろいしているのだ。
日暮里を見ると、彼は目を真っ赤にして、笑っていた。どうやら、不安要素の一つは取り除かれたらしい。
「、日暮里のこと、知ってたのか?」
「いや……話せば長くなるっていうか、うん、おとといから知ってた。ごめん」
部員たちからの圧力に耐えかねて、は結局観念した。
ちらりと月森を見れば、彼は責めるような目でを見たまま、逸らそうとしなかった。
「、俺さ、おとといの夜、おばさんから電話もらったんだ」
「……え?」
「おじさんと喧嘩して、家出したって。おばさん、本当に動揺してた。反抗とかしたことなかったのに、新体操部のこと悪く言われて、怒ったって。俺んちに来てないかって言われたけど、もちろんお前は来てなかったよな。どこにいたんだ?」
「……えーと、日暮里くんち?」
部員全員の視線が日暮里に集まった。
彼は、月森と目を合わせて、ガクガクと頷いた。妙な誤解をされてもおかしくはないだろう。
「いや、ほんと、日暮里くんには偶然会っただけだから。途方に暮れてたら、カツアゲされて、で、それを日暮里くんが助けてくれてさあ。ねえ?」
「そ、そうっすよ!」
「じゃあ、その怪我も?」
「あ、うん。突き飛ばされて、自転車に突っ込んだの。いやー、普通に転ぶより痛かった」
茶化すような口調でそう言って、はコンビニの袋を作業台の上に置いた。
結局、こうして茶化すか、誤魔化すかしかできないのか。そんな自分に心底呆れた。
「……、そろそろ話してもいいんじゃないか?」
「拓……」
「もうさ、お前が思ってる以上に、皆はお前の様子がおかしいってことに気づいてるよ。亮介が入部したときに、皆お前も一緒に来るんじゃないかと思ってたんだから」
思わず全員を見回すと、息を合わせて頷かれた。
「……、俺、マジでショックだったからな」
「亮介……」
「お前さ、俺には全部話せっつってたくせに、自分がきついときは隠しやがって。たまには自分のことも考えろよ。俺だって、お前の味方だっつの」
舌打ち交じりに言われても、と金子が呟いた。
どうしようか、迷った。きっと月森は、かなり怒っている。今話さなければ、本当に彼は自分に失望して、離れていってしまう。
「お前さ、前に俺にスポーツドリンクくれたよな」
「え、うん」
突然、東が口を開いたかと思えば、何だか懐かしいことを引っ張り出してきた。
「俺よ、あんとき、マジで嬉しかったんだよ。正直、お前と仲良くなれるとか思ってなかったし、俺もどっかで諦めてたっつーか。でも、お前から近寄ってきてくれて、すげー嬉しかった。俺は、あんときから、お前のことを仲間だと思ってた。お前は、違うのか?」
「……東くん」
胸がいっぱいになった。水沢に背中を撫でられて、涙が溢れ出す。
「ごめん、ね、私……」
「謝るのは後でいいからよ、話せよ。俺らには何もできねえかもしれねえけど、話せば楽になるかもしんねーだろ」
ずっとそれを望んでいた。
泣きながら頷いて、はようやく、重い口を開いた。
「私、本当はカラ高に来るつもりは、なかったの」
月森が顔を上げる。その顔には、やっぱりか、と書いてあった。
「本当は、私立受けるつもりだったし、自分で言うのもなんだけど、合格できるって思ってた。お父さんもお母さんも、すごく応援してくれてて、期待してて、でも私はそれが当然だと思っててね。全然プレッシャーだとか思わなかったし、むしろ、そうやって期待されてる自分が、すごく好きだった」
このまま、期待に応えて、良い娘のまま高校も卒業して、大学に進学して、就職して。そんな未来を思い描いていた。特にやりたいことなどなかったが、そうやって良い結果を残していくことだけが、楽しみだった。
「夢とか、なかったの。ただ、両親に褒められて、皆にすごいって言われたかっただけ。すっごい、嫌な奴だよね。でね、私には弟がいるんだけど。土屋くんはわかったと思うけど、私ね、弟に嫌われてんの。ううん、前は仲良しだったよ。いっつも私と拓と一緒だったもん」
水沢が、無言で頷いた。
あの頃は、幸せだった。
「私が中3になる前、弟はね、私立中学を受験したの。私が言うのもなんだけど、あの子も頭良くて、もちろんお父さんたちも期待してたよ。あの子がどうして受験してまで良いところに行こうとしたのかは、聞いたことないんだけど。でも、絶対行くって言ってたから、夢があったんだと思う」
今になって思う。どうして、彼の夢を聞いてやらなかったのだろう、と。ただ応援するばかりで、その思いを聞いたことは、なかった。
「でも、結果は不合格。すごく勉強してたし、合格するって皆が思ってた。まあ、中学受験に失敗してもね、高校や大学でいいところ目指せばいいって、私は思うんだけど……お父さんは、そうじゃなかったみたいで。どんなに頑張っても、結果に繋がらなきゃ意味はないんだって、弟に言ったの」
そういう考えさえなければ、いい父親だった。現に自分は、父親に反発を覚えながらも、やはり期待に応えたいという思いを捨てられないでいる。
「私さ、馬鹿だったんだよね……。このまま私が私立に進んだら、弟はたぶん肩身が狭くなるんじゃないかって思ったの。実際、しばらく弟はね、お父さんの顔が見れないってくらい、怖がってたから。だから、私、私立受験、やめたの」
「……そんな、理由で?」
「うん。あのとき、私は私なりに、弟の味方でいたくて。それで、深く考えずに、やめちゃったんだ。お父さんには、自信なくしたって嘘ついて。大学受験は頑張るから、カラ高に進学するって」
誰もが言葉を失っていた。
自分でも、あのときのことを思い返すと、思い切った行動に出たものだと思う。
「でもさ、それって、独りよがりだったんだよ。やめた私はね、弟を守りたいとか思ってればいいんだろうけど。弟はさ、同情だって受け取ったみたいで。姉ちゃんの優しさは独りよがりでムカつくって」
足を投げ出して、そのつま先を見つめた。
「だから私ね、両親の期待も裏切ったし、弟にも嫌われてるし、じゃあせめて、今から取り返そうと思って。いい大学に進学したいって思ってて、それで二年間、ずっと勉強ばっかしてた。だから、新体操部にも、入らなかったの」
「じゃあお前、今まで何も好きなことしてこなかったのかよ」
「うーん……でも、他にやりたいこともなかったし」
両親の期待に応えること。それだけが自分の使命だと思っていた。そのために自分を押し殺すことにも、抵抗はなかった。たまに期待に押しつぶされそうになったこともあったが、それも何とか誤魔化して、ただひたすら、耐えた。
「それで?」
唐突に、悠太が口を開いた。
「さんは、今も、やりたいことがない?」
顔を上げて、悠太を見つめる。それから、他の部員たちの顔を見渡した。
もうずいぶんと前に、気づいていた。本当は、彼らの仲間になりたかった。夢を持って突っ走っている彼らは、眩しかったから。
今まで自分が知らなかったものを、教えてくれたのは、彼らだ。
「……皆を、応援したい。お父さんは、結果が出なきゃ意味ないって言ったけど、間違ってると思う。私は、頑張ってる皆を馬鹿にされたのが、ほんとに許せなかった」
「じゃあ、決まりじゃね?」
立ち上がった月森が、の肩に手を置いた。
「わかってもらえねえのは、つらいかもしれないけど、ちょっとくらい、好きなことやったって、ばちは当たらないだろ」
「でも」
「大丈夫だ! お前には、俺らがついてる! 俺らは、お前の味方だ!」
本当に、何の解決にもならない、強引な言葉だった。
だが、不思議とその言葉はすんなりと心に馴染んで、は顔を綻ばせた。
父親や弟との関係は何も変わっていないが、そこにいる自分の心が変わったからだろうか。
「ありがとう」
あれほど重かった気持ちが、軽くなっていた。
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