「おいおいおい、ちょっと待てお前、そっち海だぞ」
「えっ? うわ」
「大丈夫か?」

 危うく飛び降りるところだった。月森に腕をつかまれ足を止めなければ、今頃海の藻屑だった。
 それもこれも、赤羽のせいだ。

「ごめんごめん、ちょっと考え事してた」
「考え事って?」
「ん、えーとねえ」

 話さなければ。これは月森にも関係のあることだ。
 明日にでも、自分と赤羽が言い争いをしたことや、その理由まで、クラス中に広まるに違いない。

「なあ
「ん?」
「海行こっか」

 可愛らしく首を傾げて、月森がそう言ったので、は思わず笑った。

「海? ここも海だけど」
「いや、砂浜。な?」

 もしかすると、彼はもう気づいているのかもしれない。きっと自分の態度は、勘付かせてしまう程度には、おかしかったと思うから。
 先を行く月森の背中を見つめる。
 詳しく話せば、彼はどんな顔をするだろうか。

「さっきさ、クラスの奴らが噂してんの、聞いちゃったんだよねー」
「え、じゃあ……」
「ぜーんぶ聞いちゃった」

 砂浜で、向かい合った。月森は笑顔で、何も気にしていない、とでも言っているようにも見える。
 だが、だからといってあっさりと笑えるほど、自分は楽天的ではない。はそう思ったまま、何も言えなかった。

「相手にしちゃ駄目っつったろ」
「だって」
「相手にすればするほど、つけあがるんだからな」

 僅かに声が低くなったように聞こえて、は悟った。彼は、怒っている。それが、赤羽に対してか、それともか木山か、それはわからないが、確実に怒っている。

「俺は遊び? 本命は木山?」
「――っ違うよ! 何でそういうこと言うの!?」
「わかってても、不安になんだよ。お前だってわかるだろ」
「……それは、そうだけど」

 月森が、いくら本気だと言っても、どうしても素直に受け入れられなかった時期が自分にもあった。彼の本気を確かに読み取っているのに、不安になってしまうのだ。
 ゆっくりと波打ち際に向かって歩いていく月森を、見送る。

「で? 赤羽殴ったんだって?」
「殴ってないよ!?」
「あ、そう? 何か、お前が赤羽殴ったって噂になってたから、マジかと思った。だよな、嘘だよな」

 波に運ばれてきたらしい木の棒を拾い上げて、月森は砂浜に何かを書いているようだった。後ろからでは、それが何かはわからない。彼が振り返って手招きをしてようやく、は彼に近づいた。

「木山、、俺」
「ん? 何これ?」

 砂浜には、円が三つ。それは三角形を作り上げていた。

「好きなとこに、ハート描かせてやろう」
「私が描くの?」
「当たり前じゃん。はい」

 木の棒を受け取って、一瞬だけ迷った。答えは一つしかないのだが、照れる。
 自分たちを示す円の間に、ハートを描く。それは少しいびつだったが、それでもはっきりと形を成していて。

「木山くんはねー、友達ハートだね。亮介と木山くんの間も」
「友達ハートね。でもハートはハートだから、俺と木山の間に描くのはやめて……」
「あはは」

 月森と木山の間に描かれた小さなハートを、彼は手で消した。その代わりに、トモダチ、とそこには書かれた。

「つっても俺、あんま木山のこと知らねえわ。あいつ一匹狼だから」
「でも、他の人よりは仲良しでしょ?」
「まあな」

 波がすぐ傍まで迫ってきて、図をさらっていく。
 頂点だった木山を示す円は消え、トモダチという文字も消えた。残ったのは、二人を示す円が二つと、が描いたハートだけ。

「亮介、好きです」
「うん、俺も」

 そう言って、二人が見つめあった瞬間だった。

「亮介! !」

 二人だけの空間に、割って入ってきた無神経な声。
 月森の表情が一気に歪み、彼は砂浜に手を突いてうなだれた。

「航! 何声かけてるんだよ!」
「は?」
「空気読んでくださいよ! 何考えてるんですか!」
「兄貴……」

 振り返れば、砂浜に踏み込もうとする航と、それを必死に遮ろうとしている部員たち。
 握っていた木の棒を月森に渡し、は立ち上がった。

「いつからいたの?」
「今だよ、今! なあ?」
「そ、そうそう! 今偶然通りかかっただけだから! 心配しなくていいから!」

 水沢と悠太が、目を見開いたままガクガクと首を縦に振った。
 気を遣わずとも、別に疚しいことなどしていないから、問題はない。

、赤羽のこと、聞いた」
「え、拓も? っていうか、皆も?」

 まさか、これほど早く彼らにまで伝わってしまうとは思っていなかった。深刻そうな表情で自分を見つめる水沢を見返して、苦笑する。

「別に、木山くんのことは好きじゃないからね」
「それはわかってる。でもさ、他の奴らがどう思うか」
「うーん……まあね。でもほら、月森はちゃんとわかってるし、皆だってわかってるんでしょ? それなら大丈夫だよ」

 一人でも理解してくれる人がいて、味方でいてくれれば、それだけでも救われる。
 いまだにうなだれている月森を振り返って指し示せば、水沢は目を丸くしたあと、笑った。

、悪かったな、赤羽のこと」
「何で航が謝るの? 赤羽のやったことは、赤羽の責任だよ。他人に責任押し付けて責めるような奴じゃないよ、私は。航は、仲間なんだから」

 強張った表情をしていた航が、の言葉を聞いて照れたように笑う。それから彼は、力強く頷いた。

「おう! 心配すんな、また赤羽が何かしようとしたら、俺が守っ――」
「兄貴!」
「何だよ!」
「それ、亮介さんの台詞です!」

 日暮里が、航の口を塞ぐ。目を白黒させた航が、しまった、と口走って月森を見た。完全に拗ねている月森は、木の棒でひたすら地面に円を書いていた。

「いや、別に俺は良いけど? やっぱ航のほうが強いし? 頼りになるし?」
「逃げましょう、兄貴!」
「お、おう! お前らも行くぞ!」
「今更空気読んでも遅ぇよ!!」

 逃げるようにして去っていく航たちに、木の棒を投げつけて、月森が喚く。そんな彼を振り返って、は苦笑して言った。

「わかってると思うけど」
「何だよ」
「私が守って欲しいと思ってるのは、亮介だけだから」

 彼の眉間の皺は、消えなかったけれど。
 その口元が確実に緩んだのを、は月明かりの中、しっかりと確認した。





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