昨日から、悠太と連絡を取り合いつつ作り上げた予算案を睨んだまま、は微動だにしなかった。
 一方で部員たちは新しい構成の話し合いに夢中になっている。
 そんな朝の風景。

「やーめーろーよ!」

 悠太が構成の説明をしていると、いちいち航たちが茶々を入れる。そのせいで、全く話し合いが進んでいなかった。ただ、楽しそうではある。この間までいがみ合っていた二者が、仲良く話し合っているのを見ると、微笑ましかった。
 しかし、このままでは全く話が進まない。そろそろ悠太の堪忍袋の緒が危ないな、と思ったは、手にしていたノートをくるくると丸めた。

「幼稚園児か!」

 航、月森、日暮里の順で、ノートを頭に振り下ろした。
 その手つきは見事で、あまりにも良い音がしたため、一瞬だけ中庭が静まり返ったほどだ。頭を抑えた三人が、仁王立ちしているを仰ぐ。

「何すんだよ!」
「ねえさん、あざっす!」
「暴力はんたーい」
「どの口が言う」

 何故か頭を下げた日暮里のことは受け流して、は元の席に着く。なんにせよ、三人はとりあえずおとなしくなったようだ。
 これで話し合いが進められるな、と思えば、月森がまた違うほうへ興味を示した。

「あ、木山」

 通りすがりの木山がそこにいた。
 まるで飼い主に飛びつく犬のように、部員たちは木山に群がっていく。ただ、は素直に立ち上がることが出来なかった。昨日のこともあるし、木山自身にも、あまり関わるなと言われたからだ。
 悩んでいただったが、部員たちが皆立ち上がってしまったため、自分も立ち上がった。だが、腰を浮かしたのとほぼ同時。

「お前もヘナチョコ軍団の仲間入りか」

 赤羽がやってきて、木山に声をかけたのだ。
 もし木山に話しかけていたら、また赤羽に何か言われていたところだろう。危なかった。そう安堵の息を漏らしたは、続いて赤羽が発した台詞に、頭が真っ白になった。

「しっかし、木山くんにはガッカリだよなあ。人一人殺した伝説の男が」

 航が赤羽に突っかかる声も、赤羽が語る言葉も、聞こえなかった。
 ただ、木山の顔が、ひどく青白くなったように見えた。例えそれがでまかせでも、木山の顔色を悪くさせるだけの何かが含まれていたのだろう。
 木山が人を殺した、などとは考えられない。確かに木山には得体の知れないものを感じるが、そんな殺伐としたものは、感じられなかった。真実がわからない限り、そんなものは信じるに値しない誹謗でしかない。

「……木山くん」

 一言も言い訳をせず、木山は赤羽を振り切って去っていった。
 いつも話しかければ答えてくれる彼だったが、今日ばかりは背中で他人を拒絶していた。木山の背中を見つめ続けるに目ざとく気づいた赤羽が、鬼の首を取ったかのように笑う。

「何だよ、やっぱお前、木山のことが気になんのか?」
「……当たり前でしょ。木山くんは友達なんだから」
「どうだかな」

 許されるなら殴りたい。ただ、殴ったら相手の思う壺だろうから、は表向きには平静を保った。
 だが、殴りはしないから、一言だけ言い返させて欲しい。

「そういう子供みたいな嫌がらせしか出来ない小さな男が、よく頭狙おうとか思ったよね」

 航とは、器からして違う。
 それは、普段の彼らを見ていれば容易に理解できた。
 赤羽の眉間に皺が寄り、悠太たちが青ざめ、航が目を丸くし、日暮里は口をパクパクとさせ、月森はの口を押さえた。

「何だとてめえ!」
「人を傷つけて楽しんでるような可哀相な男に、航が負けるわけないっつってんの。聞こえた?」
「やーめーろって!」
「だって月森!」

 この男だけは許せない。ありもしない話で人を傷つけ、笑いものにするような男など、許せるはずがない。
 しばらく、月森に押さえ込まれながら、赤羽を睨み続けた。

「アホらし。いつまでもそうやって仲良しこよしやってろよ」

 捨て台詞を吐いて、赤羽は去っていった。
 航の眉間には深い皺が刻まれていたが、恐らくそれは、怒りによるものだけではないだろう。これまでずっと一緒にいた赤羽に、仲間だと思ったことはないと言われた事で、複雑な思いを抱いているのだ。

「……皆、そろそろHRが始まる。教室に行こう」
「そ、そうですね」

 悠太の号令がかからなければ、はまだ赤羽の後姿を睨んでいただろう。
 月森に引っ張られながら、教室に向かう。航は恐らく木山の後を追いかけた。

、ちょっと」
「え、ちょっと、何」
「話がある」

 ふとした瞬間に、月森がの背中を押してわき道に逸れた。
 彼の雰囲気は深刻そうで、抵抗も出来なかった。仕方がない。彼の表情を暗くしているのは、間違いなく自分だから。そう思うと、さっきまでの強気はどこへ行ったのか、赤羽に対する恐怖心のようなものも芽生えてきた。
 無言で歩き続けて、たどり着いたのは空き教室。机も椅子もない教室で、この高校で二年間過ごしてきたが、こんな場所があるとは知らなかった。ただ、誰かが書いたであろう落書きが黒板には溢れていて、知っている人は知っているのだろう、とは思う。

「お前さ、何でああいう無謀なことするかな」
「……ごめん」
「気持ちはわかるけど! けどな、あいつは女だからって容赦するような奴じゃねえんだよ。心配になるから、マジでやめて」
「うん、ほんと、ごめんね」

 月森が怒るのも無理はない。自分のやったことは、虎の尾をわざわざ踏みに行くようなことだった。
 彼は深く息を吐き出して、苛立ったように髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱した。

「とにかく、ただでさえ変な噂立ってんだから、これ以上あいつを怒らせるなよ。あいつのことは、俺らが何とかするから」
「……うん」

 教壇の段差に腰掛けて、月森は頭を抱えた。彼の心配の種を増やしてしまったことは間違いないだろう。申し訳なくなって、隣に座る。

「亮介、ごめん」
「いや、何度も謝らなくて良いから」
「でも」
「良いから。実際、お前のあれで、俺も気持ちがスッとしたのは確かだし」

 微かに笑った月森に頭を撫でられ、の体温は一気に上昇した。
 赤くなった顔など、見せられるはずがない。慌てて目を逸らして、立ち上がる。

「亮介、早くしないと授業始まるよ! 行こう!」

 必死にそう言いながら、距離を置いた。そんな言い方しかできない自分を情けないと思いつつも、少しずつ距離を置いて、教室のドアに手をかけた。

「私、先に行くから! 一時間目、数学だし! 今日当たってるのに課題やってないし!」
「あ、おま……今せっかく良い感じだったのに!」

 口惜しげに自分の膝を叩いた月森が、しばらくの間、ショックで動く気力をなくしてしまったことを、逃げるは知らなかった。





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