「いやー、連絡もらったときは本当に焦ったけど、大したことなくて良かったよ」
「大したことないわけでもないんじゃね? こんな包帯巻かれて」
「兄貴、痛いっすか?」
「大したことねえよ」
「ほら、大したことないって」
鳴った携帯が告げたのは、航が赤羽に殴られて怪我を負ったという報せだった。慌てて病院へ駆けつければ、航は頭に包帯を巻いていたものの、ピンピンしていた。鉄パイプで殴られて、大量出血した人間だとは思えない。
奈都子と一緒に帰っていく航を見送って、全員で手を振った。あの航が、母親といるときは年相応の男の子に見えるから、不思議だ。
「あ、そういえば土屋くんは大丈夫なの?」
「はい! 薬を飲んでれば、普通に生活する分には問題ないんです」
「そ、か」
次々と部員たちが自分の帰り道に消えていくのを見送って、最終的に残ったのは、と土屋、そして水沢と月森だった。土屋を気遣いつつのんびりと家路をたどる。心配なので、土屋を家まで送っていこうという意見に、満場一致でなったのだ。
「ところで、亮介、何か元気なくないか?」
「あ、わかる? 流石水沢、やっぱ水沢は違うわー」
「え、元気なかったの? 全然気づかなかった。ねえ、土屋くん」
「あ、はい」
月森は肩をすくめて水沢のほうへ寄ると、肩を組んで何かを囁いている。当然、と土屋には聞こえるはずもなかったが、水沢は何故かを見て哀れむような表情を見せた。
「え、何? 私が何か……」
「土屋、ここは気を遣って、俺たちは先に帰ろうか」
「え? あ、そうですね」
「ちょっと! 拓と土屋くんにそんなこと言われると、恥ずかしいからやめてよね!」
意味がわからない。いきなり気を遣われても、照れるだけだ。それに、月森とはもうすぐお別れだが、水沢の家はの家よりも遠いのだから、どうせ一緒に帰ることになる。
病気のことなどどこへ行ったのやら、楽しそうに笑っている土屋が、水沢と一緒に先を歩き始めた。からかわないで欲しい。
一方で、月森は月森で、水沢たちの行動がずいぶんお気に召したようで。
「、手ぇつなごっか」
「やだよ!」
そんなやり取りをしながら、結局四人で歩いた。
だが、そんなときだった。水沢と土屋が、ぴたりと足を止めたのは。それまで四人の声しかしなかった空間に、他の集団の笑い声が聞こえたのだ。
数人の高校生が、談笑していた。人のことは言えないが、こんな時間に出歩くのはよろしくない。赤羽のこともあったばかりだから、は一瞬だけ警戒した。だが、その警戒は、すぐにかき消された。それ以上の動揺が、彼女を襲ったのだ。
「――サツキ」
水沢の声が、談笑している高校生の声を遮った。
振り返った高校生は、確かにサツキだった。彼は、水沢を見て、それから土屋を見て、その後と月森に気づいたのか、表情を動かした。
頻繁にではないが、サツキが夜に外出したり、帰りが遅かったりするのは、も知っていた。特に悪いことをしているわけではないらしいし、両親は変わってしまった弟にはあまり口出しをしなくなったので、彼はに比べると自由気ままに振舞っている。
「相変わらず余裕じゃん。こんな時間にお帰りですか」
「サツキ、にも用事があったんだ。そういう言い方はやめろよ」
友人の前だからだろうか、サツキはいつも以上に冷たいように思えた。相変わらず月森がサツキに食って掛かろうとしたが、その前にと土屋が両側から腕を掴んで止めた。
「何だよサツキ、誰?」
「お前らには関係ねえよ」
言いたくないのだ。特に恥だと思われるようなことをした心当たりはないが、嫌っている姉のことを、わざわざ友人に紹介したいわけでもないだろうから。
「おいおい、関係ないことはねえだろ。言ってやりゃ良いじゃん、姉ですって」
「お前にはもっと関係ねえだろ」
「お前って……俺、一応年上なんだけど」
「敬いたくないものは仕方ないよ、亮介」
お前はどっちの味方だ、と言われた。どっちの味方でもない。サツキは弟で、月森たちは仲間だ。どちらかを選べと言われても無理だから、自分はどちらも選ぼうとしている、それだけだ。
「姉って、サツキの?」
「へえ、姉ちゃんがいたんだな」
「お前の姉ちゃんにしては、普通っていうか」
友人たちがとサツキを見比べたため、サツキは忌々しげにを睨みつけた。そんな顔をされても、自分たちはここを偶然通りかかっただけで、姉だと暴露したのは月森だ。
あえて口を開くことはせず、はひたすら沈黙を保った。
水沢も、ここでこれ以上サツキに何かを言っても無駄だと悟ったのだろう、無言でを促した。
「先輩……」
「土屋くんちって、あっちだっけ? 行こう?」
「あ、はい。でも」
「つーちや、が行こうっつってんだから、行くぞ」
すれ違いざまに、サツキを横目で見た。目が合う。
「サツキ」
気づけば、名前を呼んでいた。
「あんまり遅くならないようにしなさいよ」
まるで昔に立ち戻ったかのように、さらりと言葉が出てきた。昔は、こうやってよく弟を叱っていた。やわらかく促すような言い方だが、そのたびにサツキは素直に従ってくれていたものだ。
だが、今は違う。
「あんたに言われたくねえよ」
土屋が振り返って、サツキを見た。水沢も、苦々しい表情で、立ち止まる。
「姉貴面してんじゃねえよ! あんたみたいな奴に、そういうこと言われたくねえんだよ、こっちは!」
「サツキ、いつも言ってるだろ! はお前を助けたかっ」
「ふざけんな! 何が助けるだよ! そんなもん言い訳だろうが! いつも言ってんだろ、あんたには誰も救えないって……!」
全て言われなれた言葉だ。
だが、だからといって傷つかないはずがない。特に今は、自分の味方をしてくれる人が傍にいるから、特に。
月森が、苛立ったようにカバンを地面に落とすと、ついにサツキに掴みかかった。
「お前なあ――」
「そんなことありません!!」
だが、口を開いた月森にかぶせるように、違う声で台詞が発せられた。
振り返ると、両手を握り締めた土屋が、サツキを睨みつけていた。
「つ、土屋くん……?」
月森が、サツキの胸倉を掴んだまま、固まっていた。
「先輩は、すごく優しい人です!」
「……土屋」
「僕のために泣いてくれたんです! 僕、それだけでも、嬉しかった……すごく悲しいけど、僕のために泣いてくれる人がいて……」
今日は、本当に泣いてばかりだ。滲んだ涙を必死に堪えて、は土屋の横顔を見つめ続けた。
月森がゆっくりとサツキから手を離して、頷いた。
「うん、は優しい」
「……ありがと」
土屋の剣幕に驚いたのか、それとも別の理由があったのか。サツキはそれきり何も言わなかった。
月森の腕を引っ張って、再び歩き出す。水沢と土屋も、複雑な表情を残したまま、歩き始めた。月森の言ったとおりだ、とぼんやりと思う。土屋は、こんな自分に暖かい言葉をかけてくれた。確かに、土屋の心は救われていないかもしれないし、サツキの言うとおり、誰も救えないのかもしれない。
それでも、自分は仲間の存在に救われているから。きっと、自分もまた、他の誰かを救える日が来るのかもしれない。そう思ったは、誰にも気づかれないようにそっと月森の手を握った。
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