ここ最近、いろいろなことが重なって、寝不足だった。
週末の模試、練習、帰宅した後は予習復習を欠かさない。大口を叩いたのだから、きちんとやり遂げなければならない。はそう思っていたし、実際両親も、週末の模試の自己採点の結果を見て、多少は部活を容認してくれるようになった。
多少は、だ。
「さん、最近疲れていませんか?」
「え、そう見えます?」
「顔色が悪いですよ。少し無理をしすぎなんじゃないでしょうか」
帰りのHRが終わった後、柏木に呼び止められた。やはり教師だけあって、生徒の変化には目を配っているのだろう。素晴らしい担任だな、と偉そうにも思いながら、は柏木に笑いかけた。
大したことはない。それに、明日と明後日は休みだから、ゆっくりと体を休めることができる。そう言って、柏木から離れようとした瞬間だった。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
「さん!?」
柏木の声が、やけに遠く聞こえた。
握り締めた手が熱い。は、遠ざかる意識の中、それだけを思っていた。
目が覚めると、病院だった。まるでドラマだな、と思いつつ体を起こす。何となく、こうなるのではないかと思っていた。少しでも気を緩めれば、崩れ落ちてしまいそうな感覚が、体の中に渦巻いていたのだ。それが、柏木に心配されたことで、つい緩んでしまった。誰にも気づかれていないと思っていたからこそ、耐えていたのに。
「、大丈夫?」
「ん……ああ、お母さん」
「疲労から来る風邪ですって。かなり熱があったみたいなのに、自分で気づかなかったの?」
「んー……気づいてた、かな」
それほど高いとは思っていなかっただけだ。まさか熱ごときで倒れるほど、自分がか弱いと思わなかった。自分の体を何だと思っているのか。
「熱が下がって回復すれば、明後日には帰って良いってお医者さんが」
「明後日……日曜日? あー、困ったな。買出しに行こうって土屋くんと約束してたのに」
土屋一人で行かせるのは申し訳ないな、などと思って母の顔を見れば、彼女は暗い顔をしていた。
言いたいことが、それだけでわかってしまった。
「……、あなたやっぱり部活はやめたほうが」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないから、倒れたんでしょ」
聞きたくなかった。
確かに、体調管理ができていなかったのは自分の責任だ。だが、だからといって簡単に諦めたくない。失敗したからこそ、次はそれを生かして上手く生活リズムを作りたいと思っていたのに、母の言葉はの心を抉った。
父とサツキは、どんな顔をして、この知らせを聞くだろう。
そう思ったのとほぼ同時に、病室のドアが開いて、父が入ってきた。難しい顔をしている。嫌な予感しかしない。
「まったく、お前は……」
「……お父さん」
母が諌めるような声で父を呼んだが、父の表情は変わらなかった。
「大したことはないんだろう?」
「ええ、明後日には退院して良いそうです」
「そうか」
まるで自分がいないかのように、両親は話していた。父に部活をやめろと直接言われなかったのは良かったが、きっと母が叱られるのだろうと、容易に想像ができた。
反抗した日以来、父はあまり向き合ってくれなくなった。結果を出せばそんな日も終わるだろうと、今は耐えていたが、こうして倒れた日まで顔を見てくれないとなると、なかなかつらいものがある。
「今日は、部活はどうしたんだ」
「え……いや、わかんない、けど」
突然父が自分を振り返って部活のことを聞いてきたため、は戸惑った。
一瞬、父はもしかして部活のことを認めてくれたのか、と勘違いしてしまった。だが、それはすぐに打ち消された。父は、表情を変えないまま、冷たく言い放ったのだ。
「どうせお前がいなくても、変わらないんだ」
「――え」
「そんなもんだ。一人減ったところで、何も変わらない。自分が必要とされている、とかいう考えは、勘違いでしかない。よほどのことがない限り、人員には替えが利く」
父の言っていることの意味が、頭では理解できなかった。
だが、心ははっきりと理解したようだ。痛い。このまま倒れてしまいそうなほど、痛い。
今頃、部員たちは何も変わらず練習に精を出している。たった数日だ。だが、その数日の間に、置いていかれるのではないか。
胸の奥から、何かが喉を通って飛び出してきそうになった。思わず胸の中心を掴んで、息を呑む。恐怖だ。
それが涙と変わるのに、時間はかからなかった。大粒の涙が一粒、零れ落ちた。
だが、それが布団に落ちるのとほぼ同時。
「ちょっと待てよ!!」
ドアが、勢いよく開いた。ここが個室でよかった、と思えるほどにそれは激しく、ベッド脇のテーブルの上に置いてあった母のカバンが、床に落ちた。
「それが親の言うことかよ!!」
「航!?」
肩を怒らせて入ってきたのは、航を先頭に、新体操部の部員たちだった。彼らはショックと怒りがない交ぜになったような表情のまま、口を真一文字に結んでいた。
「まず心配するもんじゃねえのかよ! 自分の娘が倒れたんだぞ!?」
「何だ、お前は――……」
父は、航の後ろにいる水沢に気づいて、表情を動かした。新体操部の人間だと、あっさりとばれてしまっただろう。航たちを悪く言いたくはないが、彼らは娘の友人にしておくには少し、問題のある外見をしている。案の定、父は顔をゆがめてため息を吐き出した。
「が倒れたのは、あんたのせいだろうが! あんたが結果しか見ねえから、こいつは結果を出すために」
「部活をやりたいと言い出したのはだよ。君たちも、本当にのことを友達だと思うのなら、部活をやめさせてくれ。そんなものに現を抜かしてるから、倒れたんだ」
「ふざけんな! は仲間なんだよ!」
「君たちがそういうことを言うから、は勘違いして無理をしたんだ」
平行線だ。は二人の間にはっきりとそれを見た。
航がまるで異世界の人間を見るかのように、父を見ていた。その隣にいた月森が、苛立ったように舌打ちをして、いつものように、何だと、と威嚇した。
「航、亮介、良いから」
「お前、認めんのかよ!」
「そうじゃなくて。ここ、病院だから。迷惑になるから、静かにしなさい」
部員たちが、何か言いたげに自分を見つめていた。
「とにかく、私は今から会社に戻る。仕事がたまっているんだ。部下だけにしておけない」
「お父さん……」
病室を出て行く父を、母が追っていった。それを見送った後、は目を泳がせた。
嫌なものを見せてしまった。家族がギクシャクしているということは教えていたが、聞くと見るとでは大違いだろう。現に、部員たちはショックを受けたのか、青ざめている者が多かった。
「いや、ごめんね? 風邪だったみたいで、今も熱があるんだよね。回復したら退院できるらしいけど、多分月曜日まで部活に行けないと思うんだ。まあでも、その程度だからさ、心配しないで練習してよ」
「、お前また我慢してるんじゃ」
「いや、心配しないで。正直かなり悲しかったけど、皆が来てくれたから、楽になった」
安心した。
滲んでいた涙を拭うと、部員たちもようやく安堵したように笑った。さっきの航の言葉が何よりも効いた。彼は何の躊躇いもなく、仲間だと言いきってくれたから。
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