土曜日の練習後、亮介は約束どおり病院を訪れた。
 昨日見た、青白い顔を思い浮かべると、やはり心配になる。詳しいことは聞いていないが、相当疲れがたまっていたのだろう。それに気づかなかった自分が嫌になる。
 水沢も誘ったのだが、彼は何か難しい顔をしていて、断られた。ここ最近の水沢はどこか暗い気がする。のこと以上に心配な何かがあるのかもしれない。もちろん、気を遣ってもらったというのもあるかもしれないが。
 病室の前に立って、ノックのために手を挙げる。
 ただ、その瞬間に昨日のことを思い出した。昨日はあれから逃げるように帰って、わけのわからないままに、土日の予定を全てキャンセルした。もちろん女の子たちからはブーイングの嵐だったが、そんなものは気にならなかった。部活で会えないなら、自分から会いに行きたい。一時の気の迷いかもしれない、そう思いつつも、やはり彼女に会いたいという気持ちのほうが強かったのだ。
 ぼんやりとそんなことを考えたまま固まっていた亮介は、我に返ってドアをノックしようとした。
 が、それとほぼ同時にドアが開いたのだ。危うくあちら側の人間に手をぶつけそうになって、必死に止める。

「――あら」

 そういえば、今日は土曜日だ。昼間に家族が見舞いに来ているのは当然だろうに。

「こんにちは。また来てくれたのね」
「……ども」

 軽く頭を下げて、目を逸らす。父親と鉢合わせするより数倍マシだが、母親と会うのも気まずい。昨日、あんな場面を見てしまったから、特に。

ね、今寝ちゃったところなのよ」
「え」
「昨日の夜、また熱が出ちゃったみたいで、今日もまだ微熱が続いてて。本当に明日退院できるのかしら……」

 戸惑った。
 亮介は、馬鹿ではない。自分が大人にどういう目で見られるかを理解しているし、それをわかっていて自分の振る舞いを決めているところがある。自分の態度と容姿を見て、好感を抱く大人など、ほとんどいないだろう。
 それなのに、よりによって彼女の母親が、壁を作らずに喋りかけてくれる。今まで図らずも、女の子の親と顔を合わせたことも何度かあったが、基本的に良い顔はしてもらえなかったというのに。

「あの、俺」
「あ、ごめんなさいね。お見舞いに来てくれたんでしょう?」
「や、寝てるんなら、別に」

 口の利き方がわからない。困っているうちに言葉が細切れになっていって、中途半端にしか喋れなかった。

「――のこと、好き?」
「へっ!?」

 不意打ちを食らった。まさかあちらから踏み込んでくるとは思っておらず、亮介は目を丸くする。
 驚いたまま、彼女の顔を見つめる。その笑顔に、と通じるものを見つけて、更に戸惑った。
 入って、と促されて、そのまま流されるように病室の中に入った。言葉通り、は目を閉じていて、その頬は熱のせいか微かに赤く染まっていた。

、今日一日ソワソワしっぱなしだったわ。看護師さんやお医者さんがドア開けるたびに起き上がって、あなたじゃないってわかったら残念そうな顔して。部活が終わる時間はまだ先だって知ってたはずなのに、おかしな子」
「あ、あの? もしかして、――ちゃんから、何か聞いてます?」
「まさか。話してくれるわけないでしょう? あなたも知ってると思うけど、この子、楽しいことも悲しいことも、何も話してくれないの。家じゃ自分の部屋にこもりっきりで、ひたすら顔色を窺ってばっかりで」

 自嘲するような笑みを見せられては、何も言えない。ただの顔を見つめたまま、亮介は口を噤んだ。

「昔はこんな家族じゃなかったのに……」

 こんな家族にしてしまったのは、他ならぬだ。
 だが、きっと彼女一人の責任ではない。一人ひとりに原因があって、それが絡み合った結果、こうなったのではないだろうか。他人の家の事情に口出しできるほどの無謀さはないので、黙っていることしか出来ないが、亮介は内心そう思っていた。

「――あの」

 だが、気づけば口を開いていた。

「や、その、えっと――別れろとか、言わないんすか」
「どうして?」
「いや、だって……俺、こんなんっすよ?」

 何故か降参のポーズをとってしまった。そんな亮介を怪訝そうな顔で見つめた後、彼女は瞬きをした。睫毛の長さまでと同じだ。

「そうね。正直に言わせてもらうと、あなたの印象は悪いわ」
「……ですよねー」
「でも、あなたは、やサツキとは比べ物にならないくらい、わかりやすいから。この子達は、我慢してばかりで何も顔に出さないの。あなた、今まで自由にご両親に反抗して、先生にも反抗してきたでしょう?」
「あ、やっぱりわかります?」

 素晴らしい反抗人生だったと思う。ただ、両親とは不仲ではないし、一部の教師とは仲良くやっている。一部というのはつまり、柏木のことだが。
 後悔はしていない。そもそも子供とはそういうものだろうと思う。航や日暮里のように、家族と分かり合って生きている子供のほうが珍しいだろう。だから、亮介は自分を可哀相だとも思わないし、今更家族とベタベタするつもりもない。
 ただ――の場合は違うだろう。彼女は、反抗したくとも出来ない環境で生きてきた。

との仲を邪魔するなら、何が何でも反抗してやろうって、そんな顔してたわよ?」
「いや、そりゃまあ」
「そういう正直なところを、この子も好きになったんじゃないかしらと思ったの。あなたの顔には、が好きって書いてあるから」

 思わず顔を押さえてしまった。書いてあるのなら、消すつもりはない。

「月森くん、をよろしくね」
「え、っつか、俺の名前」
「昨日、初めてがあなたのことを教えてくれたの。名前だけ」
「名前だけって……」

 もっとこう、褒めるところがあるだろうに。眠っているを見下ろす。これは、家族に対して何も話したくないということなのだろうか。いや、それよりも彼女は、単純に恥ずかしくて名前しか言えなかったのではないか。彼女なら、ありえる。

「今は、反対しないわ。私は」
「私はってことは」
「お父さんはきっと反対するわよ。だから、今は黙っててあげるから。を変な道に引っ張り込むのだけは、やめてちょうだいね」

 変な道に心当たりがありすぎて、亮介は苦笑いしか出来なかった。

「亮介は、そういうことしないよ」

 ついさっきまで眠っていたはずのが、そのときゆっくりと起き上がった。ベッドに置いていた手に、触れられる。

「亮介は……私にいろんなこと教えてくれたんだよ。変な道じゃない」
……」

 そうだ。自分はただ、我慢してばかりで楽しいことを知らない彼女に、もっと楽しいことを教えたいと思っているだけだ。
 の笑顔を見るためなら、柔軟も何のその。
 額に手を当てると、寝ていたからだろう、冷たかった。上目遣いで自分を見つめるに笑いかける。

「俺に会いたかった?」
「……ん」

 傍に母親がいることさえ忘れて、亮介はの手を握りしめた。




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