何とか保たれていた均衡が崩れたのは、夕食の時間。
 葵たちから、航たちが一度は投げ出そうとしたこと、だが結局元に戻ったことなどを聞かされていたは、食堂に部員たちが入ってきたので、彼女らの輪から一旦離れた。
 今日一日、は結局雑用のようなことばかりやらされていて、あれから部員たちと顔を合わせていなかった。体育館の掃除から、食事当番の手伝いまで、さまざまなことをやったが、倉庫と屋上を往復させられた部員たちに比べれば、体力は有り余っているほうだ。

「どうだった?」

 悠太に声をかけると、彼は何故か気まずそうに目を伏せた。
 一体何があったのか、といつものように水沢を問い詰めようとしただったが、そこで気づく。水沢がいない。

「拓は?」

 その能天気な問いかけに、部員たちは一斉にを見た。
 普段温厚な金子や、自分には甘い日暮里や月森にまで睨むような目で見られ、ひどく動揺する。

「え……何よ」
「お前さ、また何か知ってんじゃねえの?」
「いや、意味わかんない。何のこと?」
「水沢のことだよ。あいつ、一人だけ逃げやがって……」

 助けを求めて航を見れば、彼は眉間に皺を寄せたまま沈黙していて、話にならない。それならばいつも冷静な木山はどうだと思ったが、何故か木山のほうが深刻そうな顔をしていた。

「逃げたって、拓が?」
「だから、そう言ってんじゃん。何なわけ、あいつのせいで2往復させられっし!」
「ちょっと、私に当たらないでよ」

 珍しく月森に八つ当たりをされたため、はショックを受けてしまった。今まで確かに強い口調で言い合ったことはあったが、八つ当たりされたことは、ほとんどない。
 何となく泣きそうになってしまって目を逸らせば、そこで月森は我に返ったらしい。

「あ、ごめん。や、つーか泣くなよ?」
「泣いてない」
「泣きそうじゃん! ごめんって! お前は悪くねえから! ほら、ぎゅーってしてやるから」
「やめろ!」

 本当に抱きつこうとした月森を押しのけ、は木山の後ろに隠れた。

「……
「え、何?」
「――後で、話がある」

 各々席についている部員たちから離れて、再び女子部のほうへ戻ろうとしていたを、木山が呼び止めた。
 何か深刻な話になりそうだ。彼がひどく傷ついているような目をしていたので、は頷いた。
 食事を始めて数分後、土屋と柏木の力作に舌鼓を打っていたは、にわかに男子部のほうが騒がしくなったことに気づいて、振り返った。

「おい水沢、お前どこ行ってたんだよ」
「水沢くんのせいで、大変だったんですからね」
「ごめん、具合悪くて、休んでた」

 水沢が糾弾されている。はくわえたままだった芋の天ぷらを一口かじり、慌てて咀嚼した。水で流し込んで立ち上がる彼女を、女子部の部員たちが見つめる。
 水沢が、悪い。誰にも行き先を告げずに消え、その結果、部員たちはしなくても良い労働を強いられたのだから。だが、が立ち上がったのは、水沢を庇おうとしたからではない。このままでは、彼らの雰囲気が悪くなってしまう。そう思ったからだ。
 何とか歯止めをかけたかった。

「水沢、さっきは悪かったな」

 無視、した。
 聞こえていなかったのではない、彼は確かに反応を示したのに、木山を無視した。それに気づいてしまったは、まるでどん底に突き落とされたかのような気分になり、目の前が真っ暗になる。
 そういえば、最近の水沢は変だった。
 単独行動をとりたがり、練習後のカモメにさえ行きたがらない日もあった。
 そして自分は、それに気づいていて、何もしなかったのだ。

「水沢、お前いい加減にしろよ。合宿に行かないって言ったり、作業サボったりして。お前、木山が入ったの、そんなに気に入らないのかよ。お前のせいで、チームの空気が悪くなってる。もうこれ以上、俺たちのテンションを下げるような真似、しないでくれ」

 胸が痛んだ。
 糾弾されているのは水沢だ。だが、まるで彼の痛みがそのまま自分に飛んできたかのように、痛んだ。

「ご――ごめんね、皆!」

 気づけば、水沢に駆け寄って、その隣に座っていた。
 極力明るい声と表情を取り繕って、必死に笑う。

「拓ね、最近本当に具合が悪いの! 私が心配かけすぎちゃって、胃も痛ければ頭も痛いって、よく愚痴られてるし! 合宿もね、本当は行かないで休養しようかって考えたみたいなんだけど、私が強引に500円集めちゃったから……だか、ら」

 言葉が出なくなった。
 嘘だと、見抜かれている。部員たちの目が、戸惑いと冷たさを綯い交ぜにしたような光を発して、自分を見つめていた。

「だから、拓は……」
「もう良いよ、

 ボロボロと涙を零し始めたを、流石に放っておくことは出来なかったのだろう。
 それまで無言だった水沢に、頭を撫でられた。

「ごめん、な」
「拓……」

 食事にはほとんど口をつけず、水沢は立ち上がった。
 彼は、いつでも自分を助けてくれていたのに、自分は彼に対して何も出来ない。
 そう思うと、やりきれなくなって、また涙が流れた。水沢に何があったかなど、知らない。理由が何だろうと関係ない。彼が苦しんでいるならば、自分は彼の味方だ。何があっても、味方でいようと決めたのに。
 後を追いたい。
 ゆっくりと立ち上がって、水沢が向かった方向に視線をやる。
 だが、そんなを、月森が遮った。

、ほっとけよ」
「……なん、で」
「あいつ、何考えてんのかわかんねえし。お前にも何も話してねえんだろ? 話すだけ時間の無駄」

 月森の言葉が、一段と冷たく聞こえた。
 涙のたまった目で見下ろせば、彼は目を合わせることもなく、苛立ったようにキャベツの山を崩していた。
 確かに、何も話してもらえていない。
 自分にも、水沢にさえ話せない秘密の一つや二つ、存在する。だが、水沢は明らかに傷ついているのに。自分では何も力になれないと思われているのだろうか。

「……月森には、わかんないよ」
「あ?」
「私がどれだけ拓のことを大切に思ってるか、知らないくせに。話してもらえなくても良いから味方でいたいっていう私の気持ちとか、わかんないでしょ。勝手なこと、言わないで」

 ずっと前から決めていた。
 例え何があろうと、彼の味方でいようと。例えそれが、もう一人の大切な人を敵に回すことになっても、自分がこれまで耐えることが出来たのは、水沢のおかげだから。
 絶対に、諦めたくない。
 睨むような月森の目を真っ向から見返して、は唇を噛み締めた。




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