自分にも責任がある、とは思った。
 水沢のことではない。月森の機嫌の悪さについて、だ。彼の怒りももっともだ。もし逆の立場でも、自分は彼のように苛立ちを表に出したと思う。例え幼馴染であっても、自分の彼女が他の男と四六時中一緒にいて、自分とは一緒にいてくれないという状況。それを割り切るには、相当の忍耐力が必要だろう。
 ただ、彼の苛立ちは、それだけが理由ではなかった。
 この雰囲気だ。水沢のせいで――というとの胸はひどく痛むのだが、客観的に見るとやはり、水沢が原因である。面白おかしく語って、部員たちを笑っている鷲津や帝都大の選手たちが、何よりも悪いに決まっているのだが、その状況は水沢が作り出したのだ。
 もしも、水沢が100%悪いというのなら、は恐らく、これほど水沢に近づかなかっただろう。月森とも上手く折り合いをつけて、険悪な雰囲気は避けられたと思う。
 だが、いかんせん、水沢に非はない、と思う。たとえそれが特殊な恋だったとしても、人が人を好きになるのに、善も悪もあるだろうか。水沢が糾弾されるいわれはないはずだ。あるとすれば、それは木山にのみ許される権利。誰も、彼を中傷する権利など、持ち合わせていない。
 そうやって冷静に判断できるのは、が水沢の幼馴染だからだ。現に、一部の部員たちは、もはや水沢に対する不信感を隠していない。その中に月森がいるということが、をひどく傷つけた。
 だが、たとえそうであっても、月森を嫌いになれない自分がいる。彼の肩を持つことができれば、どれだけ良いだろうか、とそう思う。こうやって胸を痛めるのは、彼のことが好きだからだ。水沢も、月森も、どちらも好きだからこそ、選べない。だが今は、水沢の味方をしてやりたかった。そのことがますます月森の不信感を煽ったとしても、だ。
 上手く立ち回れない自分が、嫌になる。それが月森を傷つけていると、わかっているはずなのに。

 ここに水沢がいると知らない部員たちの会話を聞きながら、は心が凍り付いていくのを感じていた。
 隣に立っていたはずの水沢は、ついさっき耐え切れなかったのか、立ち去っていった。追いかける気力すらない。自分にはもうどうにも出来ないほど、彼らの間に走った亀裂は深かった。
 身につけない日は一日たりともなかった薬指の指輪を、そっと引き抜いた。
 持っていたファイルに挟んでいた紙に、一言、謝罪の言葉を書き込んだ。それ以外に、何を伝えるべきかわからなかったのだ。
 謝罪以外にありえないだろうと思った。何せ自分は、散々忠告し、心配してくれた月森の言葉を全て無視して、水沢と一緒にいたのだから。今更好きだと言っても、信じてもらえない気がする。
 どうして、と自分でさえ思う。どうして、それほど水沢に固執するのか、と。彼がいなければ今の自分はいないから、それは確かだ。だが、そうだとしても、月森を傷つけない方法はあったはずだ。
 頑なになっている。自分は水沢の味方でいたい。それならば、彼と距離を置こうとしている月森とは、もう一緒にいられない。そう、思っているのだ。
 愚かだ。

「――好きだよ」

 すっかり薄っぺらくなってしまったその言葉を、指輪に向かって囁く。
 紙の上にそれを載せて、誰にも気づかれないよう、そっとドアの脇に置いた。


 帰る気力を失ってしまった。
 いざ本心を口にしてしまうと、それは歯止めを失って、次々と溢れ出して来た。ひどい言い草だった、と自分でも思う。だが、それでも、もうこの状況に嫌気がさしていたのは事実なのだ。
 やってられるか、と思う。きっとそれは全員が同じだったが、水沢と過ごした時間が、彼らに口を閉ざさせていた。
 水沢は、悪くない。わかっていても、突然降ってきた事実に、動揺を隠し切れなかった。それに、確かに水沢は悪くないとしても、嫌悪感は確かにある。意味がわからない、どうして男を好きになれるのか、自分には想像もできない。

「……亮介」

 ふらりと立ち上がって部屋を出て行こうとした悠太が、入り口で立ち止まって亮介を呼んだ。その場に座り込んだまま動くことを放棄していた亮介は、顔を上げる。

「これ、さんの」
「は?」

 ようやく立ち上がって、悠太のもとに向かう。
 彼は何かをじっと見下ろしていて、亮介もそれに倣って下を見た。
 そこには、見覚えのあるシルバーリングと、一枚の紙。

「あいつ……」

 聞かれていたのか。
 ここで繰り広げられていた会話を、全て聞いてしまったのだ、は。
 申し訳ないと思う。だが、あれが本心でもある。誰かと付き合っていくには多少の我慢も必要だろうが、今回のことは我慢の出来ないことだった。それがを傷つけてしまうと知っていても、口に出さざるを得なかった。
 ただ、本当に聞かれていたとは、思わなかった。だからこそ、あれほどひどい言葉まで吐き出せた。

「亮介、良いのか?」
「何が」
「追いかけなくて。これ……」
「まあ、別れようってことだろうな」

 あえて軽い口調で言ってみたが、胸の痛みはおさまらなかった。
 喉は渇いているし、顔も青白くなっているに違いない。亮介は、紙を拾い上げながらそう思った。

「ごめんね、か」

 それだけだった。
 責めれば良いのに。そうすれば、あっさりと諦められる。
 不思議なことに、亮介はこの事態を受け入れようとしていた。今更あがいても、自分が口にしてしまった言葉は取り消せないし、の傷も消えない。それに彼女は恐らく、水沢のところに行ったのだ。
 彼女にとって、一番大事な人間は、水沢だから。
 相容れない存在に、また戻ってしまったのかもしれない。あれほど必死になって近づいたのに、あっさりと諦めようとしていた。
 諦めてやったほうが、良いのかも知れない。この謝罪は、間違いなく気持ちが自分に残っている証拠だ、と亮介は思う。それでも彼女は、振り切って水沢の味方でいることを決めたのだから。
 ならば、引き止めないのが最後の優しさなのかもしれない。
 確かに存在する、水沢への仲間意識がそうさせたのかもしれなかった。自分たちはきっと、水沢を救えない。それどころか傷つけるばかりだから。それならば、せめてだけでも、彼の傍にいてやるべきだ。そうすることで、水沢もきっと救われる。

「亮介、どこ行くんだ」
「ん、ちょっと電話。ほら、デートすっぽかして順子さん怒ってっから、ちゃんとフォローしとかないと」

 全員が、顔を上げて責めるような目で亮介を見た。
 お前らに何がわかる。そんな思いをこめて口元を吊り上げる。きっと目は笑っていなかっただろう。

「あ、やべ、携帯持って来てないじゃん」

 しばらく歩いたところで、気づいた。枕元に置いたままだ。今頃日暮里が発見して、自分の本心を全員が悟ってしまったかもしれないな、そう思った。困った。わざと気にしていないふりをしていたのに、誰かに悟られてしまったら、決心が鈍る。
 何かがこみ上げてきて、それは熱を持って喉の辺りに渦巻いた。

「――チッ」

 誰もいない廊下に、舌打ちは大きすぎるほどに響いた。ぶつける場所を探したが、何もない。

「――好き」

 きっともう意味を成さない言葉を囁いて、亮介はその場に座り込み、頭を抱えた。





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