走り出したバスは、止まらない。
 このまま水沢が帰ってしまったら、もう二度と元には戻れない。追いかけていく航を目で追いながら、は乱れた息を必死に整えようとしていた。追いかけたいのは山々だが、寝不足がたたってか、限界が来ていた。
 航の声は、ここまで聞こえていた。
 お前はカラ高の新体操部員だからな、という叫び声。
 この声も、追いかけてきた部員たちの声も届かないとすれば、水沢の決意は本物だ。本当に大切にしているものを捨てられるほど、彼は思いつめていたということだ。自分がいることでチームワークが乱れるなら、大好きな新体操、そして仲間たちの夢のために身を引こう。そう考えたというのか。
 そんな自己犠牲精神はいらない。だから、戻ってきてほしい。
 全員揃ってこそ、夢を見ることに価値が出る。たった一人でも抜けてしまったら、たとえ夢が叶ったとしても、自分たちにとっては無意味になる。
 その時だ。
 カーブを曲がっていたバスが、突然停車した。航に追いついた部員たちが、足を止めてそれを見る。

「……水沢」

 ドアが開いて、降りてきたのは水沢だった。
 前に立っていた日暮里と悠太を押しのけて、その間から顔を出す。

「新体操、続けたい!!」

 その声が、はっきりと届いた。
 良かった。航の声も、水沢に届いていたらしい。航は、心に直接手を伸ばしてくるから、当然だ。
 戻ってくる水沢に向かって、駆け出す。
 言いたいことが、ある。

「拓!」
……」

 晴れて再会を果たした二人だったが、その雰囲気は重々しい。それも、の眉間に深い皺が寄っているからに他ならない。手を取り合って再会を喜び合うような雰囲気ではなかった。
 そして。

「馬鹿!」

 響き渡った鋭い音に、追いかけてきた部員たちが目を見開いた。
 水沢が、頬を押さえて俯く。
 まさか、が水沢を殴るなど、誰が想像できただろう。彼女は平手打ちを終えた体勢のまま、水沢を睨み付けていた。放っておけば、もう一発は殴りかねない。そう察したらしい木山が、無言での肩を掴んだ。

「何で言ってくれなかったのよ! 馬鹿! 一人で出てくとか、ほんと、馬鹿じゃないの!?」
「……言ったら、もやめるって、言い出すだろ」
「馬鹿か!」
先輩、ちょっと言いすぎ……」

 馬鹿を連呼するに、部員たちは唖然とするほかなかった。

「言うわけないじゃん! 何で私までやめなきゃいけないのよ!」
「……」
「私は、拓が私に相談してくれてれば、全力で止めてた! 私だけじゃなくて、航だって、悠太くんだって! 思いつめさせた私らが悪いのはわかってるけど……でも、拓、私は何より拓に新体操を続けて欲しいんだから!」

 最後にもう一回、馬鹿じゃないの、と言っての激情は沈静化した。
 風が全員の間を通り抜けていく。

「ごめん……」
「一緒に、戻ろう」

 一緒に。
 水沢の後ろに回って、背中を押す。それを受け入れた部員たちは、皆清清しい表情で笑っていた。


「すみません、遅れました!」

 体育館に飛び込むと、既に最後のミーティングが始まっていた。
 再び息切れに襲われて、肩で息をしていたの耳にもはっきりと嘲笑が届いた。結局彼らは、わかってくれなかったのだ。ひどく悲しいと思ったと同時に、情けなくも思う。
 もう言い返す気力もなかった。そもそも、言い返してもどうせわかってくれないのだから、手遅れだ。

「うるせー!!」

 突然、木山が叫んだ。
 彼は、笑っている選手たちを、見据えて言った。

「お前ら、俺らに何か文句でもあんのか」

 ものすごい迫力だった。彼の後ろに立っていたはずの自分にまで気迫が伝わってくるような気にすらなる。
 おかげで、選手たちの嘲笑はぴたりとやんだ。
 悠太たちが着替えに出て行った後の体育館でも、もう誰も陰口は叩かなかった。

「木山くん……ありがとう」
「……いや」

 照れたように目を逸らした木山の隣に並ぶ。戻ってきた部員たちは、強い目をしてマットの上に立った。
 聞きなれた音楽。この曲が、これほど心を落ち着かせてくれるとは、思わなかった。ただの日常だったはずの音楽が、自分たちを繋ぐ絆となる。
 演技をしている間、彼らは呼吸を乱さなかった。
 ぴたりと合った動きと、呼吸。まだまだ荒削りだったが、それはきちんと形になっていた。誰も諦めなかったからこそ、彼らはここまで成長した。そして、仲間がいたからこそ、だ。
 もう涙はこぼれなかった。
 鳴り響く拍手の中、彼らは全員、満面の笑みを浮かべていた。

「拓!」
「うわ、!」

 マットから降りてきた水沢の肩を強く叩く。顔をしかめたが、水沢はそれを受け入れて苦笑した。

「私ね! 思ったんだけど!」
「ああ」
「やっぱり、拓のタンブリングが、大好きだよ!」

 水沢が大きく頷いて、の肩を叩き返した。





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