「あ、亮介。ちょうど良かった」
「ん?」
「あれ、皆は?」
「何かいろいろ」
朝練の後、用事を思い出して着替える前に部室に顔を出した。
いつもなら全員揃って着替えたり話し合ったりしているのだが、今日は何故か亮介以外に誰もいなかった。まだ少し時間があるから、居残り練習でもしているメンバーもいるのかもしれない。
「これ、ありがとう。おかげで風邪ひかなかったよ」
昨日借りたカーディガンを、紙袋に入れたまま差し出した。
中身を覗き込んだ亮介が、それを引っ張り出して、ああ、と呟く。
「良いこと思いついたんだけど」
「え、何? つーか、亮介の良いことは、私にとって悪いことなんだけど」
「いやいや、そんなことねーって。ほら、ちょっとこっち来て」
降りかけていた階段を、再び上る。
亮介の隣に座ると、彼はカーディガンを広げてに見せた。顔色を窺えば、彼は満面の笑みを浮かべていて。
「これを着ればいいと思います」
「……いや、遠慮します。そんな高価なものは借りたくありません」
「そんな高くねえよ?」
「そういう問題じゃなくて。いや、何で?」
戸惑った。そもそももうカーディガンを着ると暑く感じる季節になっている。ブレザーの下に着るには、このカーディガンは暖かすぎる。
「だって、何か良いじゃん。彼女が俺の服着てるって」
「重い!」
「うっそぉ。……いや、まあ確かにそうかもしんないけど? でもほら、俺の服着れるの、お前だけだって。な?」
「……あのねえ」
指を突きつけられたが、全く着る気になれなかった。
いや、特別扱いされるのは嬉しいが、何となく浮かれているようで自分が恥ずかしい。
「まあまあ、とにかく今日一日だけでも。な? ジャージ脱いで!」
「嫌だよ! 何脱がせようとしてんの!? 変態!」
「良いじゃん別にー。やらせてっつってるわけじゃねえし、つーかここ部室だし」
「ちょっ……やだ、助けてー!! 助けて、拓――!!」
「あっ! お前、水沢呼ぶのは卑怯だろ! あいつマジで怖い――……あ」
突然亮介の手が止まったので、は顔を上げる。
これ以上ないほど冷たい目をした水沢が、ドアのところに立って見下ろしていた。
「……亮介」
「ほら、ほら、怖いだろ!」
「自業自得でしょ! ばーか!!」
ジャージのファスナーをつかんで離そうとしない亮介を突き飛ばして、水沢に駆け寄る。彼の後ろに隠れて泣きまねをすれば、ゆっくりと頭を撫でられた。
「まったく、仲直りしたと思ったら、すぐこれだよ」
「いや、だって。俺も男だし?」
「どういう理由があっても、を泣かせるのは許さないから」
「いや、それ嘘泣きだからな」
水沢の後ろで舌を出していたのを、亮介に見られた。
はすぐに視線を逸らして、再び水沢の背中に隠れる。亮介の眉がぴくりと動いたので、すぐに離れたけれど。
「それより、柏木先生が授業の前に職員室に来てくれって」
「え? あ、うんわかった。じゃあ着替えてくるね。ありがと」
「あ、あ、ちょっとちゃーん。これ!」
部室を出ようとすれば、亮介に呼び止められた。投げてよこされたのは、黒のカーディガン。無視するわけにもいかなかったので、とりあえず受け取った。
亮介を睨みつける。
しかし、のれんに腕押しとはこのことか。亮介は笑うばかりで、何も言おうとしなかった。
結局、カーディガンは受け取ったまま、部室を出た。
「何だったんだ、あれ」
「ん、俺の。昨日さ、から聞かなかった? あいつ昨日、海で転んで。風邪引かせたら、今度こそ別れろって言われそうだなーって思って、とりあえず俺んちで着替えさせたの」
「……亮介の、家?」
が出て行った後の部室には、水沢と亮介が残された。
事情を説明すると、水沢は疑いに満ちた目を亮介に向けた。確実に誤解されている。
「……何もしてねえよ?」
「ほんとに?」
「ほんとだって! どれだけ信用ねえのよ、俺!」
ソファをバンバンと叩いて主張すると、水沢は一転して笑みを浮かべ、冗談だよ、と言った。何か、水沢を相手にしていると疲れる。普段のやり取りでは感じないが、彼女のことになると、水沢は過保護さを発揮するからだろう。それは、も同じだ。この二人の絆に振り回される自分の身にもなってほしい、という思いを、亮介は合宿中の出来事で深めていた。
「で、何でにカーディガン?」
「何か良いじゃん。彼女が俺の着てるって」
理由は、大したものではない。ただ、あの騒動を通して、わかったことがある。
自分は、彼女に執着している。今まで、付き合っている相手が浮気をしようが、誰かに奪われようが、何の感慨もなく受け入れてきた。別れ話を切り出されても、それじゃあさよなら、の一言で済ませたこともある。
だが、だけは、そうできない。
そんな亮介の思いを知ってか知らずか、水沢はさらりと亮介のそんな性質を言い当てた。
「へえ、亮介って、彼女相手にもあんまり執着しなさそうなのにな。後々別れたときに面倒なことにならないようにしてそうだと思ってた」
「あのな。お前はそれで良いわけ? 可愛い幼馴染が、俺なんかとそういう付き合いしてて」
「もちろん、そういう付き合いをしてるんだったら、即座に反対するけど」
楽しそうに笑う水沢の足を、軽く蹴る。頬を膨らませると、彼はますます楽しそうに笑った。
本当に、水沢が笑顔を取り戻してよかった。
「今、亮介は俺なんかって言ったけどさ。俺は、を好きになったのが亮介でよかったと思ってるよ」
「……そりゃ、どうも」
何となく照れた。
自分のに対する思いを読み取られたからだろうか。
「じゃ、俺は教室に行くから。皆も遅くならないといいけどな」
「俺、様子見てくるわ」
二人で部室を出て、別々の方向に向かった。
途中で女子部の部室の傍を通りかかって、中から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。どうやら、女子部は全員朝練を終えて着替えているらしい。
「あれ、、今日はカーディガン?」
「サイズ合ってなくない? ん? もしかして……」
「これ、月森くんの?」
思わず足を止めた。ちょうど女子部に所属するクラスメートとが一緒に出てきたところだった。うまく死角に入ったらしく、彼女らは亮介の存在に気づいていない。
それでも、亮介の目にはそのときのの表情が、はっきりと浮かんだ。
「……まあ、たまには亮介の希望を叶えてあげてもいいかなって、思っただけだよ」
今すぐ出て行って抱きつきたいと思ったほど嬉しかったが、そうすればきっと殴られると思ったので、亮介はその場で口元を吊り上げるにとどめた。
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