「亮介、大丈夫?」
「んー、大丈夫だよ。心配してくれて、ありがと」
無意識のうちに滑り出す言葉たち。連日の練習で疲れがたまっていて、意識はそぞろになっている。
正直な話、女の子とデートする時間さえ惜しい。家に帰ってさっさと寝たい。明日もまた早朝から朝練なのだから。ならば、さっさと本題に入るに限る。
「あのさー、千恵ちゃん」
「何?」
焦点の定まらない目を、目の前の女の子に向ける。計算されつくした上目遣いで、見上げられた。以前なら、その計算に乗っていたところだ。たとえ計算されているとわかっても、あえて乗っていた。
だが、もう良い。
「もう会わないことにしよ?」
「えっ、どうして!?」
「ほんとに好きな子が出来ちゃったんだよねー。や、もちろん千恵ちゃんのことも好きだけど。でも、ごめんね?」
彼女との出会いなど、もはや覚えていない。何を話したかも、何が好きなのかも、何も覚えていない。全部の力を、本当に好きになってしまった相手に向けてしまったからか。
との出会いははっきりと思い出せるし、彼女のことをすべて知りたいと思う。
今まで惰性でだらだらと浮気を繰り返してきたが、それでも広い心を持って許してくれた彼女に、流石に申し訳ない。何より、自分が情けない。
「ちょっ……亮介! 私、それでも良いから!」
「いや、そう言われても」
「今までだってそうだったじゃん! 亮介にはいっぱい彼女がいるの知ってたけど、私、平気だったよ!」
ポケットに入れていた携帯が、そのとき震えた。噂をすれば何とやら。からの着信だった。立ち上がって亮介を見つめている目の前の女の子と、珍しく電話をかけてきたと。どっちを優先するかは、決まっている。
「もしもし、? 俺に会いたくなった? 俺もに会いたいなーって思ってたとこなんだけどー」
「……亮介」
その声を聞いた瞬間、の表情がはっきりと見えた。泣いている。
「亮介、どうしよう……! サツキが」
「は?」
「サツキが、家出しちゃった……!」
意味がわからない。あの弟なら、家出くらい軽くやってのけそうだが。それに、も以前父親と喧嘩して家出したことがあったはずだ。心配するのはわかるが、泣くほどのことか。
だが、理由が何であれ、が泣いているのは事実だ。
「お前、今どこ?」
「……海」
「一人じゃ危ないって。すぐ行くから、動くなよ?」
「うん……」
電話を切って、席を立つ。
「ごめん、俺がいないと駄目な子が待ってるから」
それだけを言い残して、逃げた。
「!」
海岸まで全力で突っ走って、彼女の姿を探した。
広い海岸だが、何となく定位置というものがある。どんなときでも、彼女はその場所にいるから、亮介はほとんど迷わなかった。
「……りょ、すけ」
振り返った彼女は、暗い場所でもわかるほどに大粒の涙を零していた。駆け寄って、顔を覗き込む。
「サツキが……」
「ああ、わかったから。とりあえずお前が泣く必要はねえだろ。どうせ、親父さんと喧嘩したとかだろ」
「そう、だけど……! でも、サツキ、いつもと違ってて」
いつも、と言われても。あの弟と会ったのは二度だけだから、何ともコメントのしようがない。
悩んだ挙句、結局出てきたのは、こういうときにもっとも彼女のことを理解してやれる、あの男の名前だった。
「水沢に連絡したか? あいつなら、何か」
「拓……? ううん、してない……」
「いや、俺より先に水沢だろ」
「何で……。亮介じゃないと、駄目なのに……?」
心底不思議そうな顔をして、は亮介を見上げた。
こういうときに、水沢より先に頼ってくれたのは嬉しい。だが、手に余る。
「私、悲しくて。サツキ、自分さえいなければ良かったのに、って言って……! そんなことないのに、サツキは私の弟で、家族なのに、何も言ってあげられなくて」
「自分さえいなければ、って?」
「……うん」
ただ単純に、のことを嫌っているのだと思っていた。だがあの弟にもやはり、自分なりの葛藤があるのだろう。それはそうだ。姉が自分のせいで両親の期待を裏切ったのだから。自分でも恐らく気に病んでしまう。
慰めるように、抱きしめた。
「もう自分を責めるのはやめとけよ」
「……でも、サツキは」
「お前も、あいつも、悪くねえんだろ? 親父さんだって親父さんなりに正しいって、お前言ってたじゃん。同じように、お前も正しかったんだよ」
頭を撫でる。震えは止まっていないから、まだ泣いているのだろう。
「でも、私……どうすれば」
「今までと同じだろ。部活も勉強も頑張る。それしかないと思う、けど」
「……うん」
ずれてしまった歯車を戻すには、それしかない。しこりは残るかもしれないが、が部活をやり遂げ、大学にも合格すればきっと、父親の怒りも解けるだろう。
そんな解決策しか提示してやれない自分が情けない。
「……ありがと、亮介」
「いや、何か悪いな。あんま良いこと言えなくて」
「ううん。こっちこそ、呼び出してごめんね」
「は、俺じゃないと駄目だって思ったんだろ? だったら問題なし」
背中を軽く叩いて、解放した。ゆっくりと距離を置いたが、涙を拭って俯く。
「気づいたら、亮介に電話してた」
「……へえ」
「亮介が、守るって言ってくれたから」
その言葉に、嘘偽りはない。
絶対に守ってみせる。彼女もまた、自分を守ってくれたから。
だが、彼女の置かれている状況は、あまりにもつらい。家族が壊れかけ、プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、全てを守ろうとしている。そんな彼女を見ていると、自分に何ができるのか、と思ってしまうこともある。
「とりあえず、探そうぜ。俺らが行っても帰らないだろうけど、居場所だけでも把握しといたほうが良いだろ」
「良いの? もう遅いけど」
「当たり前だろ。ほら、手ぇ繋いで。夜のデートもしちゃおうぜ」
「……馬鹿」
縋るように握られた手は、ひどく熱かった。
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