、おはよ」
「亮介……お、おはよう」

 昨夜、帰宅すると既にサツキは寝ていたようで、思い切って部屋のドアをノックしても返事はなかった。家出するほどの精神状態だったので仕方がないか。いつか落ち着いたら、またゆっくり話そう。そう思って、もまた早々に眠りについた。
 あまり質の良いとは言えない睡眠だったが、それでもはいつものように早朝に起床し、家を出た。今日は朝からマットを使っての交差技の練習だ。昨日の練習で金子が怪我をしてしまったが、大丈夫だろうか。
 ――と、いろいろなところに思考を飛ばしながら歩いていたの後ろからやってきたのは、朝から妙にテンションの高い亮介だった。

「やっぱさー、良いよな」
「え、何が?」
が俺の服着てんの。結局毎日着てるし? 気に入った?」
「えっ、ちが、これは……!」

 弁解しようとしたが、上手い言葉が出てこない。
 結局顔を背けることしか出来なかったが、亮介はそれでも楽しそうに笑う。
 亮介に押し付けられたカーディガンは、結局あの日からのトレードマークとなった。少し丈の長い袖で手を覆い隠して、ボタン穴の一つにリボンのピンバッジをつけて。女の子らしくアレンジすることで、亮介のものだということを隠そうとしたつもりだったが、結局目立ってしまってすぐにばれてしまった。
 注意でもされればすぐに着るのをやめるのに、残念ながら校則の緩いこの学校には、もっと奇抜な格好をした生徒が多数いる。例えば、真っ赤な髪をした生徒やら、金髪の生徒やら、パーカーを着た生徒やら。誰とは言わないが。

「ところで、あれからどうだった? 何か話せたか?」
「……ううん、昨日は無理だった。家出るのも私が早かったから、今日もサツキともお父さんともまだ顔合わせてないんだ。でも多分、お母さんの雰囲気的には、お父さんも流石にショックだったみたいだし」
「だろうな」
「お父さん、厳しいし、私らのこと型にはめる傾向のある人ではあるけどさ、それも私らのこと考えてくれてるからなんだよ。サツキのこと、いらないとか思ってるはずないし、ちゃんと仲直りできるといいなあ」

 自分も、もう一度父親と話し合うべきかもしれない。せめて、部活のことを認めてほしい。どれだけ頑張っているか見てもらえれば、父も鬼ではない、許してくれると思う。
 そう言うと、亮介があっけらかんとして、

「じゃあ、県大会、見に来てもらえば良いじゃん」

と言った。
 それが出来れば苦労はしない。

「まあ、一応日にちだけでも伝えておこうかな……。仕事さえなければ、もしかしたら」
「上手く行くと良いな」
「うん……」
「はい、そういう顔はしない。まだ何も始めてねえんだから」

 背中を叩かれて、前につんのめる。
 思わず睨みそうになりつつ振り返れば、亮介の後ろに水沢と土屋がいた。

「拓! おはよう! 土屋くんも、おはよう」
「――うわ! お前らいつからいたんだよ!」
「ちょっと前。大丈夫、盗み聞きはしてないから。なあ、土屋」
「はい、してません」

 水沢の穏やかな笑顔と、土屋の無邪気な笑顔。癒される。
 正直な話、昨日のことを思い出すと、照れてしまってまともに亮介の顔を見ることができないので、二人が来てくれて助かった。

「亮介さん! ねえさん! おはようございます!」
「おはようございます」

 そうしているうちに、日暮里と金子と木山もやってきて、通学路は一気に大所帯になった。
 いつものように悪ふざけや談笑を交わしながら、部室へ向かう。
 こうやって毎日心の底から笑えるようになったのは、彼らのおかげだ。父やサツキは、こんな自分の姿を見ても、まだ反対するだろうか。ふと、そう思った。
 ここにいるのは皆、新体操部に救われているものばかりだ。この絆があるから、皆笑っていられる。ここが、一人ひとりにとって、何よりも大切な居場所だから。
 自分ももちろんその一人だ。
 家での居場所をなくした自分を受け入れてくれたのは、彼らだ。父は、サツキは、それをわかってくれないだろうか。それだけで良いのに。ただ、ここがかけがえのない居場所だということを、知っておいて欲しいだけ。

「おはようございまーす」
「おはようございまーす」

 部員たちの挨拶する声で、は我に返った。部室には既に着替えた航がいて、彼は金子の頭を叩いて笑っている。

「あ、間違えた。女子部の部室に行かなきゃいけないのに」
はいつもぼーっとしてるからな」
「ちょっと拓、それどういう意味?」
「そのまんまの意味だよ」

 水沢が笑って、学ランを脱いだ。今更照れることでもないが、このままでは堂々としすぎた覗き魔になってしまう。
 ベンチに座っていた亮介がのけぞるようにして背後のを見上げて、いつもの軽口を叩く。

「俺らとしては、ここで着替えてもらっても大歓迎だけど」
「日暮里くん、亮介に蹴り入れといて」
「はいっ!」

 笑っていると、上のドアから火野が、下のドアから悠太がやってきた。悠太は、挨拶もそこそこに、暗い表情のまま言った。

「皆、ちょっと聞いてくれないか」

 部室を出て行こうとしていたも、足を止めて振り返る。

「今日は予定を変更して、構成の確認をしよう」

 全員がぽかんとして悠太を見つめた。
 ほぼ一方的に話をまとめて出て行く悠太が、の隣を通り過ぎていった。
 すれ違いざまに見えた悠太の目が、縋る様な光をたたえていたようにも見えて、は戸惑う。いや、それは勘違いだったのかもしれない。だが、には、悠太が何かに悩んでいるようにも見えたのだ。
 何か、あるのだろうか。

「ほら、またぼーっとしてる。、早く着替えないと間に合わないぞ」
「はっ! そうだった!」

 慌てて部室を飛び出す。
 悠太の姿は、既になかった。




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