海岸を歩く。
 案の定、授業全てを睡眠時間に費やした彼らは、清清しい表情をしていた。もはや、起きていようと努力する者はいなかったようだ。でさえ、ペンを握ったまま机に突っ伏しており、そのさまは江崎にため息をつかせたほど。ただ、彼女はしっかりと、宿題を出してくれたが。

、里中さんにノート借りたんだろ? 後で俺にも移させて」
「いいよ。いっそ人数分コピーしよっか」
「助かるよ!」
「悠太くんの目がこれ以上ないほど輝いてる」

 頼みの綱の金子もまた、今日は居眠りをしていたので、全員が途方に暮れていたのだ。ただ一人、航だけは授業のことなど気にしていないように見えたが。
 ただ、彼にはそれ以上に気がかりなことがあるのだ。
 誰も、まだそのことに触れようとしていない。
 昨夜、カモメを訪れた亮介が、帰り際に茂雄に会って聞かされた情報。それは、死んだはずの航の父親が生きていた、ということ。亮介はその情報を隠すつもりなどなかったようで、部員たちがいるところで全て喋ったのだ。
 何も考えずに喋ったわけではない。彼は彼なりに航を心配していて、航の背中を押せるのは自分を含めた仲間だけだとわかっていたからこそ、全員に喋ったのだ。

「なあ、俺お腹空いた」
「おう、腹減った腹減った!」
「オムライスとかどうよ」

 亮介がそう言った瞬間、航の背中が揺れたのがわかった。
 皆がそれに気づいて、彼を一瞥する。

「別に、オムライスじゃなくてもいいんじゃね? 駅前の牛丼屋とかどうよ」

 やはり、彼にも向き合う覚悟はいまだなかったのだ。
 妙な親近感を覚えながら、は航の強張った笑顔を見つめた。

「わーたーる」

 こういうときに頼りになるのは、亮介だ。付き合い自体は木山のほうが長いが、きっと航のことを一番わかっているのは、亮介だから。

「そうやって奈都子さんから逃げてたってさ、何も変わんねえんじゃねえの?」

 航は、母親からだけでなく、自分たちからも逃げようとしている。目の前の壁を乗り越えろ、と背中を押す存在が怖く、もしくは煩わしく感じる気持ちは自分にもわかる。亮介の言葉を苦々しい思いで聴きながら、は目を伏せた。
 僅かな沈黙が、場を覆う。亮介もまた躊躇ったのだろう。ただ、彼はそれでも口を開いた。

「茂雄のジジイから聞いちゃった。親父さん、生きてたんだってな」

 たっぷりと沈黙した後、航は重々しく言った。

「……関係ねえだろ」

 いつでも仲間の背中を押してきた航の口から、そんな言葉を聴いたことで、全員が動揺したようだった。航が迷っているのを知っているからこそ、口を挟むのを躊躇っているのだ。
 拒絶するように背を向けた航を、誰もが無言のまま見つめていた。
 だが、そんな航の足を止めさせたのは、悠太の一言だった。

「お前は一人じゃない! そう言ってくれたのは航、お前だろ」
「お前はいっつもそうなんだよ。自分のことそっちのけで、人のことばっか心配してよ!」

 亮介が、持っていた木の棒を海に向かって投げる。それを目で追いながら、はかつて亮介が自分にも似たようなことを言ったことを思い出していた。

「いつまでも意地張ってねえでさ、会いに行けよ」
「親父さん時間ねえんだろ。いなくなっちまったら、もう二度と話せねえぞ」
「航、向き合うときに向き合わないと、後悔するよ」

 ついにも口を挟んだ。父親と揉めていただけに、航のことが他人事には思えなかったのだ。意地を張り続けていても、何も変わらない。逃げていても、解決はしない。
 時間が齎すのは、後悔だけだ。
 押し黙ったままの航に、更に悠太が声をかける。

「航、そろそろちゃんと向き合えよ。俺は……俺は、お前のおかげで一歩踏み出せた!」

 それはきっと、皆同じだ。
 航のおかげで、踏み出せなかった一歩を踏み出せたものばかりだ。

「次は、お前の番だ!」

 だから、今度は航の背中を押してやりたい。
 仲間の大切さを教えてくれたのは、他の誰でもない、航なのだから。



「ただいま」

 いつもより早く帰宅した娘を、母は目を丸くして迎えてくれた。

「昨日はごめんなさい。一晩中練習してて……」
「連絡くらいしなさいよ。柏木先生から連絡をいただいたから良かったものの、お父さん、怒ってたわよ」
「……うん。あと、制服もありがとう」

 柏木が連絡してくれていたとは、知らなかった。さすが顧問だ。生徒のことを第一に考えてくれているのだろう。

「あら? 、制服。そのカーディガン、持って行ってたの?」
「え?」
「ちゃんと校則は守らなきゃいけないでしょ? お母さん、ちゃんとブレザー着てほしくて、ブレザーしか入れてなかったのに、持って行ってたのね」

 目を丸くする。
 母親の言葉を理解するまでに、しばらく時間がかかった。何も答えずに、階段を上る。
 亮介の言葉が蘇った。自分がこのカーディガンにこだわっているということを知っていたのは、母親ではなかったというわけだ。母が用意したブレザーとカーディガンを、摩り替えた人間がいるということ。
 そして、それは――

「飯だってよ」

 カーディガンを見つめたまま、部屋でぼんやりとしていたは、部屋のドアがノックされたことで我に返った。
 この声は、サツキだ。

「――サ、サツキ!」

 ドアを開けて、階段を降りていこうとするサツキの名前を呼ぶ。
 彼がどういうつもりで摩り替えたのかは、わからない。それでも、信じたいと思った。きっとサツキも、向き合いつつあるのだ。

「ありがとね、制服」
「今更かよ」
「でも、言ってなかったから」

 相変わらず、彼の目つきには険があったけれど。

「バカップル」
「は、はあ?」
「恥ずかしいから、廊下でいちゃつくのやめてくんねーかな。見てた奴らが、わざわざ報告してくんだけど。ただでさえ、あんたの弟だとかばれたくないっつーのに」
「……っあ、あれは、亮介が!!」

 恥ずかしさとショックで舌が回らなかった。
 ただ、いつもより饒舌なサツキのその姿が新鮮で、笑いがこみ上げる。決して許されたわけでも、近づいたわけでもないのに。
 笑うを冷たい目で見たサツキが、階段を下っていく。
 ありがとうって言えたよ。そう、明日早速亮介に報告しよう、と思った。




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