「コーチかあ……」
「ん? どうかした?」
「ううん、何でもないよ。専門の人が来てくれることになって良かったね」

 口ではそう言ったが、どうも釈然としない。いや、コーチが来てくれるのならば、もちろんありがたい。部員たちが喜んでいるのを見ると、自分まで嬉しくなってくる。
 だが、その影で資料集めに奔走していた柏木はどうなるのだろう。
 自分は、大したことはしていない。だが、柏木はそれこそ寝る間も惜しんで資料集めに励んでいたのだ。コーチが来て、構成を考えてくれたら、彼の集めた資料はどうなるのだろう。
 最初は部員たちと一緒に盛り上がっていただったが、時間が経つにつれ、柏木のことが気になり始めてしまったのだ。

「じゃあね、また明日」
「ん、またな」

 亮介に手を振って、別れる。
 家の明かりを見て、思った。サツキの思いも、無駄になったかもしれない、と。


 次の日、部室へやってきたは、ドアの前に箱が置いてあることに気がついた。
 座り込んで、中を覗く。それは、とても見覚えのあるものの集まりだった。
 柏木が集めた本や資料、ビデオテープがまとめられた箱だったのだ。何故こんなところに置いてあるのだろう。柏木がここに置いたまま立ち去ってしまったのだろうか。

「うーん……」

 この箱の中身は、無駄になるのだろうか。
 そんな思いと共に唸っていると、ドアが開いて柏木が出てきた。彼は、箱の傍に座り込んでいるを見て、表情を動かした。

「柏木先生、これ」
「あ、あはは、無駄になっちゃいましたね。すみません、せっかく手伝っていただいたのに。弟さんにも、申し訳ないです」
「――あの、コーチのこと、聞いたんですね」
「ええ……いえ、僕みたいな素人の集めた資料よりも、専門の人に指導してもらったほうがいいに決まってますよ!」

 柏木が必死に笑顔を作ったように見えて、は上手く笑えなかった。

「この箱」
「あ、僕が責任を持って処分しておきますので、さんは練習へ行って下さい」
「……先生」

 処分、という言葉が悲しかった。
 資料と一緒に、柏木の想いまで処分されてしまうのだろうか。

「あ、私……コーチを迎えに行かなきゃいけないんです」
「そうですか、よろしくお願いしますね」

 箱を抱えて行く柏木の背中を見送る。
 足に力が入らなかったが、もまた、校門に向かって歩き出した。あんな柏木の姿を見た後に、コーチの迎えに出て、案内をして、愛想よく振舞えるとは思えなかった。コーチに罪はない。部員にも罪はない。だが一方で、柏木の想いは、宙に浮いてしまったのだから。

「姉ちゃん? 何やってんの、こんなとこで。つーか目立つな、そのシャツ……」
「あ、サツキか……うん、コーチが来てくれることになったから、私がここで待つことになって」
「コーチ? へえ、すごいじゃん」

 あの箱の中には、サツキが集めてくれた資料も入っていたのだ。
 そう思うと、上手く目が合わせられなかった。

「ごめんね、サツキ」
「何が?」
「コーチが来て、演技教えてくれることになったから、サツキが集めてくれた資料も、使わないかもしれなくてね」
「何だ、そんなこと。別に良いよ。俺が勝手にやったことだからさ」

 サツキは全く気にした様子もなく、逆にしぼんでいるを見て戸惑ったようだった。

「つーか、柏木先生と姉ちゃんのほうが頑張ってたじゃん。それも使わないの?」
「多分。柏木先生、結局部員にあの箱見せなかったし」
「そっか……何か、悲しいな」

 柏木の心情を考えると、いてもたってもいられなくなる。せめて部員たちに、柏木が必死に資料を集めていたことを告げて、それも使ってくれるよう頼めば良かったのだろうか。
 だが、コーチが何とかしてくれる、と喜んでいる部員たちを見ていると、結局何も言えなかったのだ。

「あ、ねえ、あの人じゃない?」
「え? あ、そうかも……」

 帰宅する生徒たちとは逆方向に、こちらへ向かってくる男性が一人。
 サツキが、警戒したような目で彼を見つめていた。

「あの、大八木さんですか?」
「ええ、そうですけど」
「あ、私、男子新体操部のマネージャーをしていると言います。体育館までご案内します」

 声に抑揚がなくなってしまったかもしれない。
 このコーチに、自分たちの事情など関係ないのだから、明るく出迎えなければならなかったのに、つい伏し目がちになってしまう。
 気を取り直して、顔を上げる。

「よろしくお願いします」
「うん、よろしく。じゃあ、早速体育館に連れて行ってもらえるかな」
「はい!」

 最後に、サツキを振り返る。

「サツキ、じゃあね。遅くならないように帰りなさいよ」
「……え? ああ、うん」

 まるで警戒する虎のような目でコーチを見つめていたサツキが、我に返る。
 何故そんな目をしていたのか、それを尋ねることは出来なかった。
 ただ、コーチを体育館へ案内している間に、はサツキのそんな目を、忘れてしまっていた。


 思い出したのは、帰宅後。

「本当に信用できんの? あのコーチ」
「え、何いきなり」

 夕食後、ベッドに寝そべって亮介のメールに返信していたは、サツキが入ってきたことに気づいて起き上がった。
 彼は眉間に皺を寄せて、妙に頼りない表情をしていた。

「何言ってんの。すごくいい人だったよ。皆喜んでたし、指導もちゃんとしてくれたし」
「まあ、別にいいんだけどさ。俺の勘違いだと思うけど」
「勘違いって?」
「何か……嫌だなって思っただけだよ。でも、ちゃんと指導してもらえたんなら良かったな」

 嫌だな、という曖昧な感情をサツキが語るのは珍しい。いつでも理路整然としていて、感情的になっても、何故自分がそう思ったのか、そう感じるのかを説明するような人間なのだ。
 だからこそ、今の彼の発言を、信じるべきではないと思った。

「サツキ、皆にはそういうこと言っちゃ駄目だよ」
「言わねえよ」
「まあ、私は覚えておくけど、多分大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう」

 それでも、一笑に付さなかったのは、やはり柏木の存在があったからだろうか。
 サツキが部屋を出ていった後、は亮介からのメールを読み返した。そこには今日の練習のことばかりが綴られていた。
 彼らは、これほど喜んでいるのだ。だから、自分たちが口出しすべきではない。
 サツキの言葉は頭から振り払って、は亮介へのメールに集中した。




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