家の前で土下座してでもに会おうと、そんな覚悟でやってきた。
が、何故だかあっさりと家の中に入れてもらえた。最大の敵である弟は、不在なのだろうか。もしもいるならば、真っ先に放り出されそうな気がするのだが。
「、何があったの? 昨日からほとんど部屋から出てこないのよ」
「いや、ちょっと……」
俺のせいなんです、とは言えなかった。に責められるのも怖いが、彼女の家族に責められるのも、怖い。今まで、トラブルは放置するか、最初からなかったことにするか、のどちらかしか選んでこなかった自分には、本気の恋は難しすぎる。
だが、濁したことで、彼女の母親は原因が亮介にあることを看破したようだった。無言で何度か頷いた後、息を吐き出した。
「まあ、良いわ。の部屋は階段上がって2番目の部屋だから、どうぞ?」
「……」
もはや笑って誤魔化すことさえ出来ずに、息を止める。
「あ、でも、部屋の前に手ごわい人が座り込んでるから、頑張ってね」
「え、え?」
それ以上、何も言ってもらえなかった。
覚悟を決めて、階段を上る。こんな形で、家の中に入れてもらいたくなかった。きっと彼女は、笑顔で出迎えてくれない。
そして、階段を上りきった亮介は、彼女の母親に言われたことの意味がわかったのだった。
「何しに来たんだよ」
なるほど、と声には出さず思う。つまり、囚われのお姫様を助け出すためには、ラスボスを倒さなければならないということだ。
振り返ったサツキを見て、亮介はそう理解した。どうやら彼も、を何とかしようと、部屋の前で頑張っていたらしい。
「いや、あのさ、に会いに来たんだけど」
「帰れ」
「そういうわけにも行かないんだって。柏木が」
「柏木先生のことはもう伝えたから、お前がここにいる意味はない」
これがゲームだったならば、リセットボタンを押してしまいたいところだ。
だが、逃げるわけにはいかない。例え話が通じない相手でも、だ。
「じゃあ、柏木のことは良いや。とりあえず、に会わせて。どうせお前、を引っ張り出せずに困ってたんだろ?」
「は? 何言ってんの」
「だからこれ、祥子先生に渡したんだろ。良いからどけ。を引っ張り出せんのは、俺だけなんだよ」
身勝手な話だ。彼女を守れなかったのは、他でもない自分だというのに、偉そうに。本当に彼女を守ろうとしていた人間を押しのけてまで、彼女に会おうとしている。
「絶対どかねえ」
「じゃあ力ずくでもどかせるけど」
ついに睨みあいに発展した。には、外でのこのやり取りが聞こえているのだろうか。
力ずく。その言葉通り、亮介はサツキの肩を掴んで、無理やり突き飛ばした。
「、出てきて。ほんと、俺が悪かったから。今更かもしれないけど、の話、聞かせて」
「……何やってんの?」
予想に反して、聞きたかった声は背後から聞こえた。
「え? あれ? え!?」
「……誰も中に姉ちゃんがいるとは言ってないけど」
「完全に中にいる体で話してただろ!」
サツキが心底笑える、と言った表情で顔を伏せた。どうやら無人の部屋に声をかけていた亮介の間抜けさが、彼の笑いのツボにぴたりとはまったらしい。
だが、一方で、階段を上がってきたは無表情のまま、亮介から目を逸らした。
「サツキ、何してたの?」
「いや、部屋から出たら、ちょうどこの人が母さんと話してんのが聞こえたから、ちょっとからかってやろうと思って」
「……もう。お母さんもお母さんだよ、私がコンビニに行ってたの、知ってたくせに」
どうやら、家族全体にはめられたようだ。思わず脱力して、ドアに寄りかかる。
久しぶりに見たような気がするは、想像以上に顔色も良く、元気そうに見えたのだ。
「何しに来たの?」
「何しにって、お前……そりゃねえだろ。あいつら全員、お前のこと心配して」
「だったら、亮介は関係ないじゃん」
その言葉の裏を読む。
「あのな、俺が一番心配してるに決まってんだろ。いや、俺が傷つけといて、心配っつーのも変だけど! でも、俺は――っ!? ちょっとぉ!?」
突然、体が支えを失った。
が、内開きのドアを、亮介を無視して押し開いたのだ。当然、寄りかかっていた亮介は、そのまま部屋の中に崩れ落ちたのだ。大事な話をしているときに、寄りかかるものじゃないな、と反省した。
「何で外開きじゃねえの……」
「廊下が狭いから」
座り込んだ亮介を避けるようにして、が部屋の中に、飛び込むようにして入った。その足取りの軽快さとは裏腹に、表情は暗い。
が、亮介は思わずの部屋の中を観察することに注意を奪われてしまった。
「入らないんなら、帰って」
「え? あ、入るけど……」
コンビニの袋の中から、紙パックのカフェオレを取り出したが、置いてあったマグカップにそれを注いだ。そして、紙パックのほうにはストローを差して、無言で差し出してきた。反射的に受け取る。
「……」
「……あのさ、これ」
「!? なっ、何でそれ持ってんの!? やだ……泥棒!!」
「ちがっ、違うって! 祥子先生がくれたんだよ」
危うく彼女の日記を勝手に持ち出した変態になるところだった。祥子先生が、と怪訝そうに呟いただったが、すぐにこの日記を持ち出した犯人に思い当たったのだろう。一人しかいない。
「まあ、良いや。読んだの?」
「まあ流し読み程度に。でも、これ、途中で終わってんじゃん」
「日記を書くような気分じゃなかったに決まってるでしょ」
「そうじゃなくて」
思い出したように、カフェオレを口にした。
「は本当に、このまま辞めたいって思ってんの? 受験勉強に専念したいっての、嘘じゃねえの? そこが書かれてないじゃん」
「……」
「教えろよ。じゃなきゃ、お前のこと守れないし」
今度は、誤魔化さない。そんな思いから、絶対に彼女に触れなかった。
マグカップを置いた彼女が、俯く。部員の前であんなことを言っておいて、今更戻れない、とでも思っているのかもしれない。彼女はそうして一人背負い込むことが得意だから。
「私がいても、何の役にも立たないって、思うんだもん」
「……うん」
「新体操のこととか、わかんないし……私がやってることだって、土屋くんと柏木先生がいれば出来ることだし……」
ボロボロと涙を零し始めたを、見つめる。もっと早くに、彼女が抱え込んでいたことを聞いておきたかった。
「亮介が、体育館にいる必要ないって言ったとき、仲間じゃないって言われたみたいで」
「……ごめんな。言い訳になるけど、俺はあん時、のこと全然わかってなかったよな。俺らのテンション下げたくなくて、ずっとコーチのこと忘れようとしてたんだろ? ずっと我慢して、それでも体育館にいたかったんだよな?」
「……ん」
「ほんっと、ごめん。あん時、もっと話聞いてやれば良かった」
が首を横に振る。何かを否定したいらしいが、声が出てこないようだった。
この時初めて、手を握り締めた。身を乗り出して手を握って、顔色を窺う。
温かいから好き、と言ってくれた。今日もこの手は、温かいだろうか。
「私が、ちゃんと話しとけば良かった……」
「日記にしか書けなかったんだろ、今までずっと」
「言ったら、嫌な顔されるかもしれないって思って、言えなくて」
彼女の涙と連動するように、自分の目にも涙が滲んだ。
自分は本当に必要な人間なのか、と思ってしまうことはきっと誰にでもある。航が新体操を始めた頃の自分が、そうだった。航にとって、もう自分たちの存在は必要のないものになったのかと思うと、どうしようもなく恐ろしくなって――それでも、救ってくれたのはだった。
「あいつら、皆わかってんだよ。皆、お前がずっと俺らのこと助けてくれてたこと、わかってるから。仲間だって、思ってるから」
「……っでも、私、あんなこと言って」
「大丈夫、本心じゃないって、わかってる。だから」
涙を拭って、笑いかける。
「帰ろう」
ようやく、を抱きしめた。
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