「大丈夫」
「大丈夫?」
「大丈夫」
何度か暗示のように唱えて立った部室前。昨日出て行ったばかりのこの部室が、やけに遠い場所のように感じた。
自分が部員だったならば、あんなことを言い捨てて出て行ったマネージャーを許せるだろうか。いくら亮介が大丈夫、と唱えてくれても、不安になる。見上げた彼が、にこりと笑う。
「大丈夫、何があっても、俺はお前の味方だから」
「亮介……」
「だって、もずっとそうだったじゃん。何があっても、俺らのこと見捨てなかったし? あいつらも、そのくらいわかってんだって。ほら、行くぞ」
「えっ、待って」
引きとめようとしたが、そのとき既に、亮介はドアを開けていた。
中から聞こえてきたのは、何やら怒鳴りあう声。というよりも、いつものあれだ。金子が余計なことを言って、航や日暮里がそれに突っかかるというあれ。
「だから、そんなの無理に決まってますよ! 常識で物考えてください!」
「何だとこのメガネ!」
「落ち着けって。進まないだろ」
悠太のうんざりとした声が聞こえてきた。いつもならば、この光景を自分は笑いながら見ているはずだ。そして、悠太の堪忍袋の緒が切れる前に、止める。今は、そんな当然のことさえ出来なかった。
「あ、」
真っ先に気づいたのは、柏木スペシャルファイルを眺めていた水沢だった。
彼に名前を呼ばれたのでさえ、遠い昔のことのようで。涙が出そうになった。
心臓が口から飛び出しそうというのはこのことだ。無意識に亮介の腕を掴み、俯く。何か喋ったら、涙が出てきそうで困る。
「ま、そういうことで、を連れてきたんだけど……お前ら何か言えよ! が気まずい思いしてんだろうが」
「亮介」
違う。彼らに非はない。だから、自分から謝らなければならないのだ。
亮介の腕を引っ張って、首を横に振る。
「あの……」
「何やってんだよ、今新しい組技考えてんだから、お前もこっち来て手伝え!」
「これ、も集めてくれたんだろ?」
「航、拓、あのね」
彼らはそうして、何事もなかったかのように受け入れようとしてくれているのだろう。
それは確かに彼らの優しさではあるが、それに甘えるのは間違っていると思う。
「ごめんなさい。私、皆のこと責めちゃって、嫌な思いさせちゃって」
「さん」
悠太が立ち上がって、肩に手を置いてくれた。
「辞めたいっていうの、嘘なんだよな?」
「……うん」
「これからも、俺たちのこと、助けてくれるかな。皆、今までずっとさんに救われてなかった奴はいないんだよ。俺たちのほうこそ、さんの気持ちに気づけなくて、ごめん」
首を横に振る。涙が零れて、床に落ちた。亮介に頭を撫でられて、涙で歪んだ視界に部員たちの姿を映す。
「ありがと」
「俺たち、仲間だろ。男だろうが女だろうが、関係ねえよ」
航が、拳を差し出してきた。
ずっと憧れていたのかもしれない。彼らがこうやって、拳を突き合わせて仲間であることを確認しあう姿を見ながら。自分もこんな風に、彼らと一緒の場所にいたいと願っていた。
涙を拭って、その手で航の拳に触れる。拳の大きさは違っても、思いの大きさは同じだ。そう思った。
柏木が集めた資料から着想を得て、新しい組技を二つ考えた。
が、図にすると出来ていたことも、実際にやってみると難しい。
「良い? 離して良い?」
「よし、じゃあやってみよう」
木山に肩車をされた悠太を支える。
まだ気まずさは僅かにあったが、それをかき消すように、練習する部員たちを手伝った。今までは見ていることしか出来なかったが、今日は土屋と二人で、部員たちの補助をしている。
「せーの――うわっ!!」
「悠太くん!」
「あっ、ありがとう……」
危うく頭から落ちそうになった悠太を必死に支える。木山が何とか座り込んで悠太をおろせたが、一歩間違えば大惨事になるところだった。
「木山、大丈夫か?」
「……ああ」
「時間はまだある。ちょっと休憩しようか」
既に痣だらけになっている部員たちが、頷いてその場に座り込んだ。
徐々に削られていく体力と時間。時間は既に日付をまたごうとしていたが、誰も弱音を吐かなかった。部員たちは、こんな世界で頑張っていたのだ。
「悠太くん、ここ、痣になってる」
「え、ここも? 気づかなかった」
打ち身を放置するわけにはいかないので、休憩中に氷を配る。痣を作っていない部員はいなかった。
「、また徹夜だけど、大丈夫か?」
水沢に氷を渡して隣に座ると、彼は足の打ち身を冷やしながら、心配そうに言った。
女子高生が学校に泊り込みなど、父親は本来許さないような人だ。だが、今回の事の顛末を話すと――
「怒られた」
「えっ、やっぱり……」
「うん、お父さんに怒られた」
そう、叱られたのだ。
未成年が夜間に出歩くものじゃない、という理由で、ではなく。
「自分が一回やると決めたことを、簡単に投げ出すんじゃない! って」
「……え?」
「今すぐ行って謝ってきなさい、って。亮介に大笑いされた」
「そっか。良かったのか、悪かったのか」
水沢が複雑な表情で頷いた。
大笑いした亮介は、航と日暮里と、相変わらずふざけあっている。が、彼は彼で大変だったのだ。
「まあ、亮介も怒られたけどね」
「え!?」
「いや、どんな理由があろうと、女の子を夜中に連れ出そうなんて非常識すぎるって。今回は私に非があるから例外にしてやるけど、次に同じことをしたら許さないって。拓が来てたら、もっと怒られてたよ〜? お父さん、拓にも容赦なかったもんね、昔から」
「うん、ほんとだよな。遊びすぎて帰りが遅くなったとき、一緒に怒られたよな」
まさかほぼ初対面の彼女の父親に叱られるとは思っていなかっただろう。亮介も災難だった。流石に教師相手にしているような反抗的な態度は取れなかったようで、終始うなだれていた。
思い返すと、それはそれで笑える。
「行かなくて良かった」
「えー、私、来るなら拓かなーって思ってたのに」
「何言ってるんだよ。を守るのは、もう俺でもサツキでもなくて、亮介なんだって。止める間もなかったよ、亮介が部室出て行ったとき」
「……えへ」
ふざけて笑って見せると、今のものろけにカウントしてやる、と言って、水沢が笑った。
柏木スペシャルという名の組技が完成するのは、夜明け前のこと。
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