「あっ、柏木先生」

 柏木が学校を辞めるという情報を得た部員たちは、完成した柏木スペシャルを見せるために、柏木を捜しに行っていた。一方で、体育館に残ったは、CDプレーヤーと競技用音楽を用意して、いまかいまかと柏木を待っていたのだった。
 体育館に入ってきた部員たちに声をかけると、彼らは真剣な表情で頷いた。

「準備終わったよ」
「ありがとう」

 CDをセットして、部員たちが位置に着くのを待つ。
 柏木は、怪訝そうにそんな部員たちを見つめていた。
 悠太からの合図を受け取って、再生ボタンを押す。聞きなれた音楽が、体育館内に響き渡る。
 足音を立てないよう、柏木の傍に向かう。
 土屋とは反対側に立って、柏木の顔色を窺った。
 一度は部活を辞めようと思ったからこそ、わかる。柏木はきっと、迷っているのだ。

「先生、ここからです」

 土屋が嬉しそうに言う。
 彼もまた、演技ができないことで、何度も悩んだだろう。押しつぶされそうにもなっただろう。それでも彼は、何もなかったかのように笑っていた。
 ここにいられることが、何よりも嬉しい。
 自分は、それさえもわかっていない馬鹿だった。
 柏木スペシャルと名づけた、組技たち。これは、部員たちと、自分たちマネージャーと、そして誰よりも、柏木が力を出したからこそ出来上がった技だ。全員での集大成だ。
 涙が流れ出した。
 人間は、これほど大量に涙を溜め込めるのだろうか。今日は泣いてばかりいる。それなのに、涙が止まらない。
 泣き顔など見せられない、という見栄のようなものは、もはやなかった。
 演技を終えた部員たちが、柏木に向けて言葉を投げかけていく。その言葉を聞きながら、自分の愚かさを身に刻み付けた。
 もう二度と、彼らの傍から離れないよう。

「柏木先生」

 ここにいられることが、どれだけ幸せなことなのか。
 全員でここにいられることが、どれだけかけがえのないことなのか。

「私は、私たちは――」

 それを、自分は知らなかった、いや、忘れていたのだ。

「柏木先生じゃなきゃ、嫌なんですよ」



「で、何でちゃんまで泣いてたのかなー?」
「わっ……もう!」

 残った涙を拭いながら部室へ戻ろうとしていると、目の前に突然亮介が現れてにやりと笑った。
 泣き顔を見られた恥ずかしさに、わざと怒ったふりをしてみせる。いや、亮介や水沢にならば、何度も泣き顔を見られたのだから、あまり気にしてはいないのだ。ただ、いまだに気まずさが残っているだけ。
 しかし亮介にも、気まずさは残っているらしかった。怒ったふりをしたを見て、彼は慌てて顔色を取り繕った。

「ま、まあでも、もともとは俺が悪いんだけど」
「そうだよ」

 からかわれた悔しさから、顔を背ける。
 自分にも非があるとわかってはいたが、つい亮介をからかってしまった。

「……ごめんな」

 亮介がうなだれた。
 やはり申し訳なくて、亮介の頭を撫でた。

「嘘だよ。私だって悪かったんだから」
「いや、でも」
「私、亮介が迎えに来てくれたの、すごく嬉しかったよ」

 意地を張って、一度は戻りたくないと言ってしまったが、それでも亮介は諦めなかった。
 本当は自分も諦めたくなかったのだ。その気持ちを、亮介は揺り動かしてくれた。

「亮介が来てくれればいいのにって、思ってたから」
「俺?」
「うん。意地張ってたけど、私ね、亮介が辞めるなって言ったら、戻りたくなるだろうなって思って。それは困るなあって、思ってた」
「何で困んの、喜べよ、そこは」
「だって、意地張ってたのにさ、亮介に辞めるなって言われたら嬉しかったし、でもどういう顔していいかわからなくて!」

 あの時、コンビニから戻ってきた時。二階から聞きなれた声が聞こえてきて、自分はかなり動揺したのだ。
 嬉しい。はじめに思ったのは、確かにそれだった。
 だが、困ったのだ。
 あの時の自分は、ただ何も役に立てないことがつらくて、そこから逃げ出したかったのだ。部員たちを責めるような形になってしまったことも、つらかった。そこからも、逃げ出したかった。
 そんな状態の時、亮介の声を聞いて、どんな顔をしていいのかがわからなくなった。

「でもやっぱり、亮介の顔見たら――」

 手を伸ばすと、彼は一瞬の間の後、誘われるようにその手を握ってくれた。

「嬉しくて」
「うん」
「亮介のこと、好きだなあって」

 手を握り返す。
 亮介は、瞬きを繰り返したが、その表情はほとんど動かなかった。

「俺も、のあの日記読んだ時も、昨日の夜また会えた時も、ってかもう全部! のこと、好きだって、思った」

 改めて好きだと言うと、照れる。思いが伝わってくるからか。きっとこれが、本当に好きだという気持ちで、かけがえのないものなのだ。
 わずかな間、見つめあった。
 そうして、どちらともなく、目を逸らす。

「ま、あれだな、うん」
「そうだね、うん」

 これ以上、言葉はいらなかった。
 二人の距離が元通りになるには、笑い合うだけで十分だったのだ。

「航が、オムライス食いに行くって。行こうぜ」
「オムライス! お腹すいた!」

 笑顔で戻ってきた二人を、部員たちが微笑ましげな表情を浮かべて出迎えたのは言うまでもない。




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