テストも無事終わった。
 そういうわけなので、新体操部の練習も、いつもどおりのスケジュールに戻った。今日からダンス部が来てくれて、部員たちは一生懸命ステップを踏んでいる。一名ほど、明らかにおかしなステップを踏んでいる男がいたが、それさえ見なかったことにすれば、まあまあと言ったところか。女子部の前を通りかかったとき、引き止められて火野くんが格好いいよね、と同意を求められた。火野が格好いいのは確かなので、黙って頷く。彼女らは、キラキラと輝いた目で、火野ばかりを眺めていた。
 そんな練習も終わりを告げ、は制服に着替えて、一足早く女子部の部室を出た。
 柏木に呼ばれているのだ。
 職員室に向かう途中、前方にダンス部の部長である町田が歩いているのを見つけて、駆け寄った。

「町田くん!」
「ああ、さん。どうかした?」
「今日はありがとう。ちょっと航が絡んでたけど、大丈夫だった?」
「うーん……まあ。殴られはしないってのは、今日でわかったかな。怖くはないよ、もう」

 思わず苦笑する。自分も最初は、航が何かを言うたびにビクビクしていたが、いつの間にか慣れていた。そのうち、本当の意味で恐れがなくなって、一緒に笑ったり、ふざけあったりできるようになる。
 航の中では、町田は既に友人の一人として認識されていそうだな、と思いつつ、頷く。

「大丈夫だよ、そのうち慣れるから」
「いや、さんみたいにはなれないって。俺、初めて見たわ。東たちにあんな態度とってる女子。まあ、月森あたりはやっぱり逆らわないんだろうけど」
「まさか。あいつらはいつでも反抗期だよ。そのうちわかるようになるよ。どうすれば言うこと聞いてくれるか」

 呼吸さえ覚えて、間違えなければ大丈夫だ。
 航の純粋さが見えてくると、きっと楽しくなるだろう。彼ほど信頼できる友人はいない。恐らく誰もがそう思っている。

「あ、じゃあ私、柏木先生に呼ばれてるから。じゃあね!」

 手を振って、職員室へと駆け出す。早くしなければ、始業のチャイムが鳴ってしまう。
 廊下にはほとんど生徒はおらず、遅刻寸前の生徒たちが走って門をくぐってくるのが、窓から見えた。
 歩幅を広くして、一歩踏み出した時だった。激しい音が無人の廊下に響き渡り、は足を止めた。今の音は、ガラスの割れる音だと思う。何事かと、前後を窺う。だが、近くでガラスが割れたようには見えなかったので、再び歩き始めた。
 そして、突き当りを曲がったとき、続いて耳に飛び込んできたのは怒声。
 何かを踏んだような気がして、下を見る。割れたガラスだった。よく見れば、傍の窓が粉々に割れていた。

「……うわあ」

 嫌な予感がして、一歩後ずさる。ガラスを踏めば、踏み方が悪かったのか、ガシャリと音を立てた。
 その音に反応したのか、窓の向こうから、男子生徒が一人顔を出した。
 目が合った途端、睨まれた。
 航たちと仲良くなって、少しは不良に対する耐性ができたかと思っていたのに、やはり見知らぬ不良は怖かった。蛇に睨まれた蛙の気分になって、また一歩下がる。

「おい」

 ゾクリと、寒気が走った。
 この感覚を、自分は知っている。睨んでくる男子生徒と図らずも見詰め合うと、重なるように浮かんだのは、赤羽の顔。忘れていたのに、あの時の感覚ははっきりと思い出せた。

「東航ってのは、どこだ」

 驚いた。だが、どこかで想像してもいた。

「――」
「聞こえてんだろ、さっさと言え」

 言葉が出てこない。パクパクと口を動かしても、掠れた声しか出てこなかった。
 校舎内に入ってきた彼が、バットを突きつけてきた。その先端を見つめたまま、何とか頷く。それしかできなかったのだ。
 彼は、舌打ちをしてバットを下ろした。

「案内しろ」
「……え」
「東航のところに案内しろっつってんだよ! さっさとしろ!」

 いつ殴られるかわからない状況で、必死に頷いた。
 航のところに案内すればどうなるかなど、誰にでも想像できる。特に今は関東大会前なので、火種は持ち込みたくない。
 だが、は賭けた。
 この数ヶ月で航が身につけた、忍耐力に。

 一方、授業が始まった教室では、柏木が空席を見て首を傾げていた。

「竹中くん、さんは練習の後、具合でも悪くなったんですか?」
「いえ、そんなことはなかったと思いますけど。水沢、何か聞いてるか?」
「いや? 普通だっただろ。亮介は?」
「さあ。茉莉ちゃんたちは?」
ちゃんなら、職員室に行くって言ってましたけど?」
「それが、来てないんですよ。あとで保健室を覗いてみましょうか」

 結局堂々巡りになった。全員で首を傾げたが、そのまま授業が開始された。
 本日、テストの返却日。柏木が答案用紙の束を持って、にこりと笑った。

「テストを返却します。東くん」
「おう!」

 航が元気よく返事をして、前に進み出る。その自信満々な態度はどこから来ていたのか、柏木から彼が受け取った答案用紙には、

「マジかよ満点じゃん!」
「嘘!」
「マジか」
「新体操ならな」

綺麗な字で、20という数字が書かれていた。
 見事な赤点だ、清清しい。

「お前、こんなときに何やってんだよ!」
「何だよ」
「東くん……大変申し上げにくいんですが、追試でも赤点を取った場合、部活停止になります」

 恐らくこの制度のことさえ知らなかったに違いない。部員たちがいっせいにため息を吐き出した。それが誰にも聞こえなかったのは、教室のドアが勢いよく開いたからだ。
 視線が集まる。
 そこへ飛び出してきたのは、真っ青な顔をしただった。彼女はそのまま止まれず、教卓にぶつかってようやく止まって、大きく息を吐き出した。
 誰もが目を丸くしてその様子を見つめていたが、続いて一人の男子生徒が入ってきた。
 彼は威嚇するような目で教室を見回し、言った。

「東航っての、どいつだ」

 それを聞いたは、まるで緊張の糸が切れたかのように、その場に座り込んだ。




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