「私の席は、呪われてるんです」
「大変ねえ」
練習後のカモメ。話題はさっきから、今日転校してきた矢代についてだった。転校初日から航に喧嘩を売った彼と、金子が幼馴染だった。その衝撃が大きすぎて、誰も気づいていないかもしれないが、矢代の席は以前赤羽が座っていた席だ。
つまり、の隣だということ。
右側が木山だということだけが救いだが、朝から彼に脅され、人質のような扱いを受けて教室にたどり着いたにとって、地獄のような状況だった。
赤羽の恐ろしさから解放されたと思ったら、続いてやってきたのが矢代だった。その哀しみといったら。
背後では、金子が矢代について語っていた。確かに幼い頃の彼は、正義感に満ち溢れた金子の親友だったのかもしれない。だが、あの変貌ぶりは何なのだ。
「金子、あんまりこういうことは言いたくないけど、あまり関わらないほうがいいんじゃないか?」
水沢のこの言葉は、恐らく正論だ。
今最も大切なものは、関東大会。いくら幼馴染だろうと、何を仕出かすかわからない矢代と、これ以上関わるのはやめるべきではないだろうか。
不安げな表情を浮かべた部員たちを振り返る。
「拓の言うことも正しいけど、金子くんの気持ちもわかるよね」
それまで矢代の隣になってしまったことを嘆いていたが、唐突に冷静な様子で口を挟んだので、部員たちは皆、顔を上げて黙り込んだ。
「私らは矢代くんのこと知らないから、簡単に関わるなって言えるけど。でも、金子くんにとっては大事な幼馴染なんでしょ? 関わるなってのは無理な相談だよ」
自分にも、大切な幼馴染がいるから、気持ちはわかる。特に、自分に大きな影響を与えてくれた人だから、なおさらだ。
以前、水沢にあまり関わらないほうがいいと言われたことがある。あの時、結局自分は、亮介と仲違いをしてまで、水沢に関わり続けた。
「ただまあ、矢代くんが今日航を殴ったのは確かだし? 関わるなとは言わないけど、十分気をつけるべきだよ」
「大丈夫です。孝ちゃんなら、絶対」
金子は、矢代のことを信じているのだろう。どれだけ変わっていても、彼にとって矢代は、自分が信じる矢代のままなのだ。
矢代のことは確かに気をつけるべきことかもしれないが、それでも自分は、幼馴染を信じる金子の気持ちを信じたいと思った。
「よーっし、それじゃあ関東大会に向けて、気合入れて――」
「航」
気合を入れる場所を間違っていると思う。
航の頭の中には、新体操のことしかないのだろう。気合を入れようとした航の言葉を遮って、ノートを叩き付けた。
「何だよ、これ」
「今回のテスト範囲で、ここさえ理解できれば赤点は取らないだろうってところをまとめたの。何でもいいから詰め込んで、絶対追試はパスするように」
ノートの中身を覗きこんだ部員たちが、感心したように頷いた。
「ごめんなさいね、ちゃん。航が馬鹿なばっかりに」
「いえ、いいんです。いい復習になったと思えば」
「航、あんた友達にここまでさせたんだから、しっかり勉強しなさいよ?」
「わかってるっつーの」
友達のためにここまでしたのは初めてだ。水沢に対してさえ、これほど面倒を見たことがない。
このノートさえあれば追試も乗り切ることができる、とでも思っているのか、航はそれをあっさりと脇へと避けてしまった。本当に大丈夫なのか、と尋ねようと思ったが、あまりしつこくしすぎるのもどうかと思ったので、見なかったことにした。
「いいよなあ、航は。特別扱いで」
「何が?」
「ノート。俺にはくれなかったじゃん」
帰り道、亮介がそうぼやいたので、は苦笑した。
「亮介が、私に頼るつもりはないって言ったんでしょ。頼まれれば、ノートのコピーくらいあげたのに」
「え、マジで? 頼めばよかったわ。あんな必死に赤点回避したのに」
「必死に?」
「いや、適当にって言ったほうが正しいかなー」
いいんだよ、赤点さえ取らなきゃ。亮介は、弁解するようにそう言って、勝手に話を終わらせた。
そして、彼が口にしたのはやはり、矢代のこと。
「そういや、あいつには気をつけろよ? 隣なんだから」
「うん、絶対に矢代くんを見ないようにしてるから、大丈夫だよ」
「え、それじゃあ、俺のほうも見ないってことじゃん」
「見る必要もないけど」
冷たく言い捨てる。そんなの言い草に、亮介は頬を膨らませた。
「まあ、冗談はおいといてさ。木山くんもいるし、大丈夫じゃないかな」
「木山ね。まあ確かに、あいつがいれば安心だとは思うけど。でもさあ、そこは可愛く、『私を守って、亮介くん』とか言ってもいいんじゃね?」
「何だかなー。こういうこと自分で言っちゃう人より、木山くんのほうがなー。うん、ごめん、冗談だから。だからほら、木山くんを追いかけようとしない!」
今すぐにでも木山を追いかけていって掴みかかりたい。そんな素振りを見せた亮介の腕を引っ張る。何となく、触れた手はそのままにして、歩き続けた。
「は木山のこと特別扱いしすぎ。そんなんだから、木山と俺相手に二股かけてるとか言われんの! 俺の心の広さったらねえよ!? 彼女が他の男といつでも仲良くしてるのに、ぜーんぶ、仲間だからって見なかったふりして」
「うん、ごめん。でも、個人的にはちゃんと亮介のことを一番特別扱いしてるんだけどね」
「どこが」
「うわ、わかってないの? もう、前も言ったのに」
身を乗り出してきた亮介を押しのけながら、ため息を吐き出す。
もう、ずっと昔のことのように感じるあの頃。赤羽に標的にされ、木山とのあらぬ噂を立てられ、大変なことになっていた時期。
自分は確かに、こう言った。
「私が守ってほしいと思ってるのは、亮介だけだって」
亮介も、きっと覚えていた。不満げだった表情は掻き消え、彼は一瞬だけ、遠くを見るような目をして見せた。
「ずっと亮介は私を守ってくれてたでしょ」
「……ま、そうだけど」
「だから、あえて守ってって言う必要もないかなって思ってたんだけど、今回だけだからね。もう一回言ってあげる」
立ち止まって、亮介の手を引っ張る。
「私を守って、亮介」
どれだけ不安があっても、笑っていられるのは、亮介が守ってくれるということがわかっているからだ。
はにかむような表情を見せた彼に頭を撫でられながら、は目を細めた。
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