「大丈夫なのかなあ……」
ホワイトボードに図を描きながら、はちらりと背後を見た。呟きを聞き取った土屋も、不安げな表情で僅かに頷く。
金子が、矢代を部活に誘った。
最初は拒否した矢代だったのだが、なぜか直後に見学だけでもと言いはじめ、練習を見に来ているのだ。何となく、一度は拒否したのに、すぐに手のひらを変えたことが気になった。
できれば疑いたくない。金子の友達なのだ。
だが、無条件に信じ込める相手でもないだろう。部員の誰もが――いや、航以外の誰もが、不安を表に出していた。
「先輩、金子先輩はどうして誘ったんでしょうか」
「うーん、どうだろうねえ。また仲良しになりたかったから、とか? 私にはわかんないな」
金子の考えが、どうしてもわからない。
幼馴染を信じたいという気持ちはわかるが、だからといって問題を起こすかもしれないと思われている人物を、部活に引き込むだろうか。自分ならば、まず彼を部員たちに受け入れさせてから、部活に誘うと思う。
「おい、! お前、ここわかんねえよ!」
「……あーもう、そしてあいつは何でここにいるの」
机に向かっている航を振り返って、頭を抱える。ただでさえ部活の仕事が多いのに、航の面倒までは見切れない。
それでも、見捨てるわけにはいかなかった。
ただ一つ問題があるとすれば、航の隣に矢代が座っているということだろうか。できれば部活の時にまで、彼と関わりたくなかった。顔には出さないが、最大に警戒している。
「航、大人しく帰って勉強したら?」
「何でだよ! いいから教えろ!」
「教えるの慣れてないんだけどなー……」
ぼやきつつ、航の隣に座る。教科書を奪い取って、問題の箇所に目を落とした。
嫌な視線を感じる。それに気づきながらも、は顔を上げず、問題に集中している振りをした。
教室でも何度かこの視線に気づいた。最初は、ただ周囲の人間を威嚇しているだけだと思っていた。だが、徐々にその視線を感じる回数が増え、今日になってようやく気づいた。
彼の目は、獲物を狙う蛇のような目だ、と。
初めて彼を見た時、赤羽を思い出した。その印象が強すぎて、無意味に警戒しているだけかもしれない。それでも、彼が何を考えているのかわからない以上、警戒するに越したことはない。
「航、これは――」
「おい、どこ行くんだよ!」
「聞けよ! 人を呼んどいて!」
何とか思考をまとめて航に教えようとすれば、彼はとっくの昔に勉強ではなく矢代に興味を移していた。その矢代が、体育館を出て行こうとしているので、もはやその姿しか見えていないようだ。
「本当に部活やりたいのかなあ」
「あいつが見たいっつったんだから、別にいいだろ」
矢代が体育館を出て行ったことで、息苦しさは消え去った。
軽く息をついて、もう一度教科書に手を伸ばす。だが、航に視線を戻した時には、さっきまで隣にいたはずの彼は既にいなかった。
見れば、新しい技について話している部員たちのほうに、いつの間にか加わっていた。
「航、お前は部活停止中だろ」
「お邪魔しました〜」
「あっ、おい、! てめえ!」
「練習したいんなら、さっさとこっちに来なさい」
そうして、航を元の場所へ引きずり戻そうと奮闘していた時だった。
突然、けたたましくベルが鳴り始めた。一体何の音か、最初はわからなかった。だが、校内にこのような音を鳴らすものは、一つしかない。
非常ベルだ。
非常事態を知らせるベルなど、普段は鳴らないものだから、基本的に部員たちの反応は薄かった。それでも、音につられるようにして、体育館を出て行く。
だが、外に出た部員たちは、すぐさま色を失った。
新体操部の部室から、煙が漏れ出ていたのだ。
「……嘘」
「おい、何だよこれ!!」
真っ先に航が駆け出し、部室へ飛び込んでいった。次々とそれに続いていく部員たちを見ながら、は呆然とすることしかできない。
部室が火事だということにも、部員たちがその中へ飛び込んでいったということにも、驚いていたのだ。おろおろとその場を動き回り、結局火が消えるまで外にいた。
どうやら小火程度で済んだらしく、部員たちは無傷で出てきた。
それだけが救いだった、と火事騒ぎの後の部室で、は眉を顰める。
「タバコを吸ったのは誰だ!」
教頭の怒鳴り声が頭に響く。
火が収まった後の部室に、一本の吸殻が落ちていたのだ。もちろん、部員たちがタバコを吸うはずがないので濡れ衣でしかなかったのだが、落ちていたものは仕方がない。さっきから疑われていて、説教は終わる様子を見せない。
そろそろ航たちの堪忍袋の緒が切れそうになったところで、結局カバンの中をチェックされることになった。それでもいい。疑いが晴れれば、それでも。
と、半ば勝利した気分で持ち物検査に臨んだのだが――。
「ねえさん、俺は本当にやってないんすよ!」
「いや、わかってるよ。何で私にだけそんなにしつこいの?」
「そりゃ、に叱られんのが一番怖いからに決まってるだろ」
「そんなことないよ! ねえ、拓!」
「どうだろうな」
日暮里のカバンの中から、タバコとライターが見つかったのだ。
教頭は疑っていたが、仲間内で彼を疑っている者など誰もいない。このままでは関東大会出場を辞退しなければならないという情況ではあったが、すぐに疑いは晴れるだろうと誰もが楽観的に考えている部分はあった。
「拓までそういうこと言う……。そもそも私は日暮里くんを疑ってないし! 拓は知らないだろうけど、このタバコって、320円もするんだよ!? もし日暮里くんが吸ってたとして、そんなお金があるなら、この子は弟たちにお菓子の一つでも買ってあげるに決まってるよ。ねえ?」
「ねえさん……!」
「ちょっ、抱きつくなら航に抱きついて!」
日暮里を押し返して、航のほうに突き飛ばす。
部員たちは、表情に複雑なものを残しながらも、それぞれ笑った。本当に航に抱きついている日暮里を見ながら笑っていると、後ろから亮介に肩を叩かれた。
彼は、からかうように目を細めて、言った。
「普通の女子高生は、バイトでもしてない限り、タバコの値段なんか知らねえから、気をつけろよ?」
「……うっ、そうか、普通は知らないのか」
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