学校側は、辞退という選択を提示してきた。
日暮里も亮介も無実なのだが、その二人の潔白が証明されない限り、辞退せざるを得ない状況なのだ。そして、潔白を証明する手立ては、今のところ、ない。真犯人を捜すにも、手がかりが全くないのだから。
――いや、誰もがある一人を疑ってはいた。
ただ、彼が金子の幼馴染であることを考えて、今のところは表立って追及していないだけだ。でさえ、矢代のことを怪しいと思っている。彼を信じたいという金子の気持ちも痛いほどわかるが、気づけば矢代を疑っている自分がいるのだ。
一歩下がって部員たちの姿を見ているには、彼らの間に広がる不和がはっきりと見えていた。最初は小さな傷だったそれが、徐々に広がり、ついにひび割れとなって広がったのは、ある日の放課後のこと。
亮介や日暮里が苛立っているのは、言われずともわかる。眉間に皺が寄り、いつも必要以上にニコニコと笑っている二人が、全く表情を変えようとしない。
同じように、水沢の感情の動きも、手に取るようにわかるのだ。もう何年も一緒にいる幼馴染なのだから、彼の機嫌が悪いことなど、お見通しだ。
他の部員たちも、似たり寄ったりの状態ではあった。表に出していないメンバーもいたが、彼らにいつもの笑顔はなかった。
息苦しい。
体育館に入った瞬間に感じたことは、それだった。
「どうせ辞退するんだろ」
「ちょっと待てよ。まだ辞退するって決まったわけじゃ」
「やってられっかよ!」
「おい、亮介! 日暮里!」
間の悪いときに体育館に入ってしまった。
体育館から出ようとする亮介と、目が合った。彼は一瞬だけ躊躇ったようだが、すぐに目を逸らして出て行った。
頑なに拒絶している、あの目。
以前も、こんな目をした彼とすれ違ったことがあった。
「りょ――」
「俺も、練習する気になれない」
亮介と日暮里を追いかけようとした矢先、続いて水沢までマットを降りていった。
彼は一見穏やかなように見えて、実は現実的で、そして気の短いところがある。この状況で練習する意味を、深く考えてしまったのかもしれない。無意味だ、もしくは、意味がわからない。そんな結論に達しての行動だったのだろう。こう結論を出したときの彼は、もう止められない。頑固なのだ。
「大会まであと3週間しかないんだぞ!」
「仕方ねえだろ。今は頭冷やす時間も必要だ」
木山の言うとおりかもしれない。
うなだれている金子に近寄って、肩を叩く。やはり、彼はプレッシャーに押しつぶされてしまったのだろう。
「金子くんも、一回ちゃんと休んだほうがいいよ」
「でも……」
「大丈夫、一回落ち着こう? 今までずっと、休む暇もなかったんでしょ? 追い込まれてただろうし」
迫った時間と、跳べない苛立ちに挟まれて、金子はかなりつらい状態だったはずだ。
ひどく深刻そうな顔をした彼が、窺うように他の部員たちを見た。
「悠太くん、金子くんは、休ませてあげたほうがいいと思う。時間がないのはわかるけど、金子くんのほうがもたないよ。跳べないのが誰よりつらいのは、金子くんなんだから」
「……そうだな。今日は、これで終わりにしよう。金子、ゆっくり休んでくれ」
「すみません……僕のせいで」
励ますように笑顔を見せて、もう一度金子の肩を叩く。疑われている日暮里や亮介と同様、孤立しつつある金子もかなりつらいはずだ。それなのに、彼は気遣うようにを見た。
「月森くんと水沢くんが……」
「ああ、大丈夫だよ。拓は、ちゃんと自分で判断できる人だし。亮介のほうも、声かけてみるから」
追いかけていっても、亮介はきっと拒絶しようとするだろう。そんな目をしていた。
だが、知っている。
彼は常に、助けを求めているということ。いつも、航や日暮里に救われていて、今では新体操部の仲間もできて、いつでも明るく笑っていたのだ。
どれだけ自分が傷ついても、亮介を助ける。彼のことを好きだと思った日から、変わっていない思いだ。彼が自分だけに向けてくれる笑顔が好きで、その笑顔を守りたいと思う。
「亮介! 日暮里くん!」
既に着替えて、部室から出てきていた二人を見つけて、駆け寄る。
二人揃って、同じような表情を浮かべた。驚きのような、哀しみのような。
「あのね、今日の練習は休みになったから。帰ったらゆっくり休んでね」
主に日暮里に向かって、笑いかける。亮介とは、もっと落ち着いた状況で話がしたかった。
それは恐らく、亮介も同じだったようだ。彼は無言での言葉を聞いて、それから長い沈黙の後、日暮里に向かって言った。
「日暮里、先帰ってて」
「……はい」
「気をつけてね、日暮里くん。また明日」
まるで笑顔の作り方を忘れてしまったかのように、日暮里は中途半端な表情で頷いて、帰っていった。
「ごめんね、日暮里くんとどこか行く予定だった?」
「……いや、別に。つーかそういう気分じゃねえし」
「ん、そうだよね、ごめん」
上手く笑うことができない。
亮介に怯えているのだろうか。苛立ちを隠さず、ぶっきらぼうに喋る彼のその様子に。
何度か、こうなった亮介と言葉を交わしたことがある。そのたびに、亮介には傷つけられてきた。いや、彼の感情を受け止め切れなかった。彼が航と喧嘩して教室を飛び出した時も、水沢にはあまり関わらないほうがいいと忠告された時も、お互いの気持ちがすれ違って、お互いに傷ついた。
「あのさ、亮介。金子くんも、かなりつらいんだと思うよ。時間もないし、プレッシャーもかかるし……。跳べなくて一番苦しんでるのは金子くんなんだから」
「だったら? 金子が跳べるようになんのを、ずっと待ってろって?」
「そうじゃなくて……」
「毎日毎日同じことのくり返しで、何の進歩もしねえやつのこと、このまま待ってろってことだろうが!」
あからさまに体が震えてしまった。
言おうとしていた言葉が、全て消え去る。ただ、亮介を見つめたまま、震える手で自分のジャージを握り締めた。
が怯えたことに気づいたのか、睨むような目をしていた亮介は、視線を下に落とした。だが、怒りから来る震えは、隠しきれていなかった。
「……どうせ辞退すんだよ」
「亮介……」
「どうせ、誰も俺らのことなんざ、信じてねえんだよ」
怒りの根底にあるものが、見えた。
「亮介、そんなこと」
「お前らがいくら信じてるっつったって、他の奴らは俺らがやったって思ってんだよ。毎日毎日、犯罪者を見るような目で見られる気持ちが、お前にわかんのかよ」
「……それは、でも、だったらどうして」
どうして、その胸の内を、打ち明けてくれなかったのだ。つらいとか、悲しいとか、怖いとか。亮介の胸の内には、そんな感情が溢れかえっているだろうに、彼はずっと一人で抱え込んできたのだ。その感情を、怒りで覆うしか方法はなかったのかもしれない。
「どうして、私に話してくれなかったの……」
「……話して何か解決すんのかよ」
「亮介……でも、私、亮介の力になりたい。守るって言ったのに、気づけなくてごめん。助けてあげられなくて、ごめん」
もっと早くに彼の気持ちを問いただしていれば、少しは負担が軽くなったかもしれない。守るというのは、口で言うだけなら簡単なのだ。行動に移すには、難しすぎる。
それでも、自分なりに、どれだけ遅くなっても、亮介のことを助けてあげたいと思っての、今の言葉だった。
一瞬、沈黙が二人の間に流れた。
亮介が、呆然と自分を見下ろしていることに気づいて、見つめ返す。話してほしい。何でもいい、格好悪くてもいいから、以前のように一言、助けてと言ってほしい。
だが、返って来たのは、小さな舌打ちの音だった。
涙の浮いた目と、眉間の皺。噛みしめた唇が解かれた時、彼は言った。
「お前のそういうとこ、時々、すげーウザイ」
そのまま、彼は何も言わず、足早に去って行った。
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