まただ。
 携帯を見たは、僅かな倦怠感を覚えた。
 届いた一通のメールを開けば、そこには他愛のない内容が綴られていた。特に不快感があるわけではない。本当に他愛のない雑談だ。だからこそ、一日に一度のペースではあるが、返信もしていた。これで切れるだろうと思って送っても、毎回違う角度から返信が来て、そのメールは既に一週間ほど続いていた。
 事の始まりは、友人から届いた久々のメールだった。中学の同級生だが、高校でのクラスは別になってしまった友人。以前は仲も良かったが、今ではすっかり疎遠になってしまった彼女からのメールが届いたのも、一週間ほど前だった。
 友達がと仲良くなりたいって言ってるから、アドレス教えてもいい?
 深く考えずに、承諾した。自分と仲良くなりたいと言ってくれる人がいることが純粋に嬉しかったのだ。だが、はその後届いたメールを見て、自分の浅慮を恨んだ。
 相手は、男だったのだ。友達になりたい、ということだったし、紹介してくれたのが友人だったため、無碍にもできなかった。ただ、これがばれたら、例え友達であっても、亮介は眉を顰めるだろう。そう思ってしまってから、このやり取りが重くて仕方がないと感じるようになってしまった。
 相手が求めているものが、純粋な友情だけならそれでいい。だが、ここ最近のメールの雰囲気から、はそうではないものを感じ取っていた。皮肉にも、彼から届くメールには、かつて心を開いていなかった頃の自分に、亮介が送ってくるメールと同じような雰囲気があったのだから。

「おい、?」
「えっ、あ、何?」
「何、じゃねえよ。問題解けたっつってんだろ」
「ああ、うん。ごめん」

 どうメールを返すべきか考えていたら、航の声さえ聞こえなくなっていたらしい。
 現在、追試直前の航を助けるため、勉強会の真っ最中である。といっても、他の部員は練習中であるため、は航と二人で教室にこもっていた。体育館で勉強するのもいいが、このままでは航が集中できない。そう判断して、今日だけ練習を休ませてもらった。

「うん、合ってる。多分、これで大丈夫じゃないかな、追試も」
「大丈夫じゃなかったら、お前のせいだからな」
「いや、勉強さぼった航のせいでしょ」

 そろそろ終わりにしよう。薄暗くなった外を見て、はそう言った。ぐったりとした航が、その一言で元気を取り戻し、荷物をまとめ始める。

「おい、お前さっきから暗いぞ」
「え? そうかな」
「また亮介と喧嘩でもしたのか?」
「いや、してないから。確かにここんとこ、結構喧嘩してたけど」

 思い返してみれば、ここ最近、亮介との諍いが多すぎた。その分仲直りをするたびに二人の仲は深まっている、とは思うのだが、流石に続きすぎると不安にもなる。もともと相容れないような二人だから、余計に。
 航は顔をしかめたが、それ以上は二人の問題だとでも思ったのか、すぐに話題を転換した。

「んなことより、練習行くぞ」
「一応部活停止中なんだけどね。あ、そうだ。私、ちょっと職員室に用があるから、先に行ってて。遅くなるかもしれないって、拓か亮介に伝えて」
「おう、じゃあな」

 航はすぐに教室を飛び出し、待ってろ体育館、と叫んで行ってしまった。苦笑しつつ見送って、もまた席を立つ。部活で提出しなければならない書類を、出しに行かなければ。
 急いで廊下を歩いていると、背後から足音が聞こえた。何となく振り返ると同時に、名前が呼ばれる。

さん、今帰り?」

 知らない人だ。そのせいで、の反応は遅れた。

「――えっ、あ、はい? 今から職員室に行くところ、なんですけど」

 困惑気味にそう言えば、その人物、男子生徒はにこりと笑った。爽やかな笑顔だ。

「俺、ほら、吉川に紹介してもらった」
「えっ、あ、そうなんだ……。えっと、久保くん?」
「そう。顔見て喋るの、初めてだよなー。クラスも今まで違ったし」

 つまり、ついさっきまでの頭を悩ませていたメールの相手、それが彼だ。
 見たことがあるような、ないような。だが、優しそうな笑顔は、の警戒心を解くに充分だった。どこか水沢にも似ているような気がする。

「ごめんね、いきなり。びっくりしただろ?」
「うん、まあ……」
「前からさんのこと、気になっててさ。あ、いや、これは変な意味じゃなくて」

 照れたように笑うその反応に、は何故か驚いた。これまで亮介ばかりを見てきたせいか、新鮮だったのかもしれない。
 どんな意味なのかはあえて聞かず、笑い返す。
 愛想笑いも混じっていたものの、その笑顔を見てが嫌悪感を抱いていないことを悟ったのか、彼は再び喋り始めた。それはメールの内容とあまり変わらない、日常的な雑談だった。

「柏木先生って、面白いよな。ちょっと天然入ってるっていうか。俺のクラスの日本史も担当してるんだけど――」

 ほぼ彼が一人で喋っているようなものだが、は相槌を打ちながら、歩き続けた。彼が悪い人ではないことはわかったものの、今は早く部活に行きたい。そう思っているせいか、歩調は速い。
 しかし、それは突然だった。

「でさ、さん」
「はい」

 それまでとは少し違う、強い口調で名前を呼ばれた。職員室はすぐそこだが、足を止めて彼を見上げる。

「さっき、変な意味じゃないって言ったけど」
「は?」
「俺、ずっと、多分入学した頃から、ずっと――さんのこと、気になってて」

 心臓が大きく脈打った。
 はにかんだ彼の顔を見つめる。この流れは、まさか。

「好きです」

 驚いてしまった。それはもう、盛大に。
 普通ならば、ここで照れるなり笑うなり困るなりするだろう。だが、は単に驚いていた。
 まさか、彼は知らないのだろうか。亮介のことを。毎日のように自分にまとわりついて、好きだと言ってはばからない彼の存在が、目に入っていないのだろうか。

「え? いや、え?」
「あっ、いや、月森のことは知ってるって。でもさ、言っときたくて」
「あ、そう、ですか……」
「わかってたことだけど、反応うっすいな……マジで月森のことしか考えてないんだ」

 そのとおりだ。は、こんなときでも亮介のことを考えている自分に気づいて、場違いにも苦笑した。そして、ごめん、と一言伝えようとしたときだった。

ちゃーん!」

 大声で名前を呼ばれたかと思うと、背中に走った衝撃。包み込むような体温。

「……亮介」
「迎えに来ちゃった」
「普通に出てきてくんないかな」

 抱きついたまま離れようとしないのは、亮介。制服に着替えているところを見ると、練習はとっくに終わっていたのだろう。航は間に合わなかったに違いない。
 いや、そんなことよりも、今はもっと大事な問題が目の前にある。
 自分に回る亮介の腕の力が、心なしか強い。まるで外に出さないとでも言われているかのようだ。となると、これは――

「亮介、聞いてた?」
「んー? 何が?」
「いや、だから……久保くんの」
「久保くん? 誰、それ。俺にはちゃんしか見えませーん」

 ちらりと久保を見ると、彼は呆然と立ち尽くしていた。

「ほら、さっさと帰ろうぜ」
「や、ちょっと」
「いいから、早く。これ以上ここにいたら、俺、誰かさんを殴りたくなっちゃうかも」

 呆れた。素晴らしい独占欲だ。
 立ち尽くした久保に、ごめん、と告げる。流石に無視して去ることは出来なかったが、言い終わる前に亮介に手を引っ張られたため、彼にきちんと伝わったかどうかはわからない。
 引きずられるようにしてついていきながら、亮介を見上げる。自分を見下ろして笑った彼だったが、その目は全く笑っていなかった。




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