「亮介、ちょっと、痛い」

 掴まれた手首が痛い。だが、亮介はその手を緩めることなく、無言で歩き続けていた。
 そして、唐突に立ち止まる。

「あのさ」
「うん」
「いつの間にあいつと仲良くなってた?」

 俺、あんな奴知らないんだけど。
 亮介はそう苛立ちを隠さずに言う。確かに、亮介と行動することも多いため、彼は自分の交友関係をよく知っている。もちろん全員とはいかないが、自分に好意を抱く男がいれば、見逃すはずがないだろう。

「あー、それが……ちょっと、友達に頼まれて、メール」
「メール?」
「いや、私は別に変なこと考えてなかったけど! 一日一回しか返してなかったし、何とかして終わらせようと頑張ってたんだけどね!」

 必死に弁解した。我ながら滑稽だと思ったが、亮介は全く笑わなかった。
 まさか、自分のほうが浮気を疑われる日が来るとは、思ってもみなかった。

「そんなん、無視すりゃいいじゃん。じゃあ何? 俺のメール返す合間に、あいつとメールしてたってこと?」
「いや、だからね。一日一回。友達の紹介だったから、無視もしづらくてさ」
「あ、そう」

 冷めたような目だ。自分も亮介を追及するとき、このような目をしているのかもしれない。そう考えて、ふと気づいた。どうして自分ばかりが責められているのだろう。

「亮介だって、前は8人も彼女がいたくせに」
「――それは!」
「しかも私といるときも、携帯手放さなかったし」
「……そ、それは、過ぎたことだろ。俺が言ってんのは、今!」

 過去のことだから、カウントしないというのか。それは少しずるい。
 流石にカチンと来て、亮介を睨みつける。そうすれば、彼もまた苦々しげな表情で見下ろしてきた。
 一触即発とはこのことか。そして、二人は同時に口を開いた。

「大体――」
「亮介は――」

 が、二人の言葉は、落ちてきた雨粒によって遮られた。
 それは見る間にアスファルトを覆い始め、音を立てて落ち始めた。

「えっ、嘘! 傘持ってない!」
「やべ、俺も! とにかく、今は走れ!」

 一時休戦、二人は同時に走り始めた。どこを目指して走っているかもわからず、は亮介に手を引っ張られながら走った。雨粒が目に入り、痛い。涙のように見えているかもしれない。

「亮介、どこ行くの!?」
「とりあえず、俺んとこ来い! 傘貸してやっから!」

 つまり、行き先は亮介の自宅か。傘を貸してもらえるなら、ありがたく借りよう。
 途中で、亮介が立ち止まり、学ランを脱いだ。何をしているのかと問えば、返事の代わりに、それを頭にかぶせられた。

「わ」
「もう何か、走るだけ無駄だし」
「諦めたね」
「だってびしょぬれじゃん! こんなん走り損じゃん!」

 雨は強い。小さな声ではきっと聞き逃してしまうだろう。
 諦めてゆっくりと歩き始めた亮介の隣に並ぶと、彼は手を差し出してきた。

「ごめんな」
「ん?」
「変なこと言って、ごめん」

 まるで雨がわだかまりを流してくれたかのようだ。
 あっさりと謝罪した亮介に驚きつつ、その手を握る。

「ううん、私こそ、過ぎたことを持ち出してごめんね」

 手を繋いで、弱くなり始めた雨の中、歩いた。
 結局、亮介の自宅に寄ることになった。今更傘など、と思ったが、再び強くなり始めた雨の中帰る気力もなく、亮介の言葉に甘えたのだ。

「何かさ、懐かしくね?」
「何が?」
「ほら、前も喧嘩して、俺んちで仲直りしただろ。合宿の後」
「ん、ああ、そうだね。ほんとだ」

 後ろに座った亮介が、丁寧に髪の毛を乾かしてくれた。長い髪の毛を乾かすには、多少の時間が必要だったが、亮介はまるで一本も逃さないとでも言うかのように、ゆっくりと乾かして行く。
 そして、完全に乾いたとき、ようやくドライヤーの電源が切られ、部屋には静寂が訪れた。乱れた髪の毛を整えながら、亮介が笑う。それから彼は、後ろからゆっくりと腕を回した。

「俺さ、があいつに笑いかけてんの見て、すげー腹立った。俺以外のやつに笑いかけてんじゃねえよ、って」
「そんなの」
「いや、航たちは別な。あいつらは仲間だから。でも、それ以外の男に笑いかけてほしくないって、あいつがに好きって言ったとき、本当にそう思ったんだって」

 抱きしめる力が強くなる。あの時、彼は単に嫉妬をしていたわけではなかったらしい。笑いかけるな、とまで言われると正直な話、困るのだが。

の笑顔も、泣き顔も、全部俺のもの」
「……は」
「だって俺がを守ってんだから、当然だろ」

 少し言いすぎだろう。だが、きっと亮介にも言いすぎているという自覚はある。だからこそ、彼は絶対に顔を上げないのだ。
 小さな声で名前を呼ぶと、彼はようやく顔を上げた。

「私も、全部亮介のものになりたい、かな」

 囁くような声も、抱きしめられている今なら全て聞こえているはずで。それを証明するかのように、亮介の力が強くなり、彼は肩に顔を埋めた。

「何、どうしたの、今日は。普段は、すぐ照れ隠しするくせに」
「い、いいでしょ、別に。ほら、あれ、久保くんには悪いけど、私ね、本当に亮介のことしか考えてないから……だったらもう亮介のものになっちゃったらいいかなって思った、の」
「うん、じゃあ俺の前で他の男の名前は出すなよ? 特に今は」
「ん、わかった、わかったから」

 流石に抱きしめられ、密着されると恥ずかしい。嬉しさのほうが大きいが、徐々に高まってくる緊張のせいで、落ち着かない。身じろぎをすることで、何とか逃れようとしたが、やはりそれは無理だった。
 亮介の声が、耳元で聞こえる。
 たったそれだけのことで、ぞくりと背筋を撫でられたかのような感覚が走った。

「亮介、そろそろ解放して」
「駄目」
「や、もうほんと、限界だから」
「限界って何。そんなに嫌? まあ、は照れ屋だから、しょうがないとは思うけど」
「いや、うん、それもあるんだけど!」

 緩んだ腕を押しのけて、振り返る。高鳴る胸を落ち着かせようと、気づかれないように息を吸い、そして吐き出した。

「抱きしめられるだけじゃ嫌なの」

 言うと同時に、亮介の背中に腕を回す。
 言葉に詰まったのか、それとも息が詰まったのか、何も言わなくなった亮介の腕が再び自分を抱きしめてくれるまで、少しの間があった。

、ほんっとに思うんだけど」
「ん?」
「俺、気が気じゃねえよ、マジで。こんな可愛いこと言う女の子を、男がほっとくわけないし?」
「かっ、可愛くはないし! これは、亮介だから……! というか、亮介以外にこういうこと言うわけないよ、ほんとに……!」

 顔を上げれば目が合って、にこりと微笑まれた。それだけで、自分の想い全てが受け入れられたような気持ちになって、ますます鼓動が早くなる。

「じゃ、可愛いちゃんを、今日は雨がやむまで独占させてもらおっかなー」
「もう、好きにして」

 あまりの恥ずかしさにため息を吐き出したが、一方で彼に回す腕に力を込めた。
 もうしばらく、雨がやまなければいい。切実に、そう思った。



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